ものはためし

書く訓練、備忘録

ピアノの思い出

子どもの頃にピアノを習っていて、毎日ちょっとだけずつ練習してたんだけど、部屋の角にアップライトのピアノがあって、その前の壁に絵がかかってたんよ。たしか花瓶に生けられた花の油絵だった。ちょっと黒っぽい色彩とかぼこぼこした表面とか、金色のいかつい額縁とか、全部合わせて、なんだか怖いなと思っていた。綺麗だとは思わなかった。子どもだったからかな。

それでいて、わたしはピアノを弾きながら鍵盤でも楽譜でもなく、その油絵をぼーっと眺めていたような気がする。

ちっちゃいときにピアニストの先生の公開レッスンを受けたことがあるんだけど、(えらい熱心だし幸運だったよな、なんでそんな展開になったんだっけ!?)そのときわたしはクレメンティソナチネを弾いていて、先生から「クレメンティが降ってくる感じで…ほら、ちょっと見上げて弾いてごらん」みたいなことを言われた記憶がある。それ以来上を見てしまうような、そんな気がする。それで練習するときも上にかかっている絵を見てたんだっけ。上を見てたらバッハやベートーベンやショパンやリストが降ってきたのか?降ってきたのかもしれない。そうやって楽譜を見ずに弾いていたから15年も習ったのに楽譜をちゃんと読めないのか?めちゃくちゃかいな。

けど、別のことを考えていたような気もする。

狭い家にたくさんの家族で住んでいた。家の中では皆がいつも誰かの感情に触れて生きていて、関係が入り組んでいた。それが当たり前だったんだけど、離れた今となってはもう絶対に戻れないなというような窮屈さがそこにあった。

ピアノを弾いているときだけは自分ひとりで、弾き終わるまでは誰も入ってこられないという感じがして、毎日弾くのは面倒だったけどわたしはわたしだけの時間と空間をそこに見出していたのだと思うな。そう考えると音楽にはずいぶんと昔から救われていた。

 

実家を出て5年目になる。ピアノのない部屋で暮らしている。壁に油絵もかかっていない。この部屋では、人を呼ばない限りどんなときもひとりで、天井を見上げても下を見ても窓を開けても閉めてもひとりで、これでいいのか、これがいいのか、このままでもいいのか分からないけど、もうあの家では絶対に暮らせないので、今のところこうするしかない。これからどこで、誰と生きていくかは自分で決めていけばいい。もはや音楽の話ではないな。いいとか悪いとか評価しないでただ事実を受け容れるだけだ、と言ったのに、やっぱり、色々と評価しようとしてしまって困る。

でもこれだけは、

ピアノを習わせてくれて、うるさかっただろうに毎日ピアノを弾かせてくれて、音楽に救われるわたしにしてくれてありがとう、と思っている。家族に、ピアノの先生に、クレメンティに、バッハに、リストに、ピアノに、あの部屋に、あの油絵に。