ものはためし

書く訓練、備忘録

なぜ分かってくれないのだ、という気持ちになるとき、私は相手の「私のことが分からない気持ち」を分かってあげられていないので、全くもってお互い様である。

 

 

12月になった。この時期のイルミネーションはきれいで好きだが、子供の頃に親が「一晩中ぴかぴか光ってたんじゃ、自分がまぶしくて木は眠れないだろうね」と言っていたのをふと思い出して、電飾をまきつけられた街路樹たちに向かってがんばれよと言ってみたりする。

今日は年末の大掃除を分散してやろうと突然思いつき、カーテンを外して洗い窓ガラスを拭いた。窓には雑巾の筋が少し残り、私はそれが気に入らなかったのでそれならいっそ拭かなければよかったとも考えたが、それはそれで汚くて嫌だった。

早起きしたのに、掃除に夢中になったせいで学校に5分遅刻した。大急ぎで教室に入ると大きな教室に学生は1人もおらずしんとしていた。教室変更か休講の情報をチェックし忘れたのではないかと焦って掲示板を見に行ったが特に連絡はなく、貼ってあった時間割表を何気なく見ると今日は火曜日なのに、あると思っていた授業は金曜日だったと気づく。こんなまぬけなことがあるのか。

よく考えるとこれまで私はスマホのアプリで時間割を管理していて、最近スマホを水没させて別のに変えたばかりだったのでそのせいだと思った。自分の時間割と教室の位置すら覚えられないでアプリがないと曜日を間違えたり迷子になったりするというのはまぬけすぎる。でもそれは、覚えられないからアプリに記憶させるというよりも、アプリに記憶させた結果自分で覚えておく必要がなくなり忘れたのだという気がして、その後無事火曜日の授業の教室に15分遅刻で入室したが授業中はずっと記憶と記録の関係について考えていた。