ものはためし

書く訓練、備忘録

考えすぎを考える

電気をつけたまま寝落ちしていたけれど、起きたときに太陽の光で部屋が明るかったのでそのことにしばらく気づかなかった。

このことが何を表しているか考えた。例えば幸せとか。同じ電気がついていても、外の明るさによって体感が違うように、同じ出来事でもその時置かれた状況によって幸福感が違うんだよな、というように。他にも、気づかないうちに増えている電気代のことなど。

 自分の周りで起こる全てのことは私とって意味があると思ってしまうことがある。そうすると本当に考えるきっかけは身の回りに溢れていて、毎日考え続けなければならずキリがない。本当にそんなことを考えるのにエネルギーを割くべきだったのか疑問なことも多い。

 考えすぎな人に「考えすぎるなよ」と忠告しても、その人は「よし、考えすぎないようにしよう。さてこれは考えるべきことかな?考えない方がいいことかな?しかし、考えるべきかどうか迷っている自分はすでにそのことを考えてしまっている!」などと考えこんでしまうので意味がない。と思っていたのだが、ひょっとすると、「考えすぎないようにしよう」と思い続けているうちに、次第に考えないでいいことが分かってくるものなのかもしれない。というのも、今日電気のことに気付いたとき、私は客観的に「このことの意味を考え何か学ぼうとしている自分」を認識した。これはかなりの成長だと思う。今までならそんなことに気づくこともなく考え込んでいただろうから。

ということで、生きるのを少し楽にしようと試みている。考えないことが果たして楽なのか、なんてことは考えない。いや、考えるべきなのか。だめだだめだ、また始まってしまう。さん、にー、いち、おしまい。