ものはためし

書く訓練、備忘録

雨止まんかな

今日は友達の誕生日。雨降ってる。

いつかの誕生日に兄姉がプレゼントしてくれた傘をさして、いつかの誕生日に友達がプレゼントしてくれた靴下を履いて、その靴下が濡れないように変な歩き方をして駅に向かって電車に乗ったんやけど、そこから目的地に着くまで20分くらい、なんかおもしろかったから書こうと思った。

 

電車に親子3人が乗って来た。母親と4才、2才くらいの男の子で、上の子はさっと乗ったのに下の子が電車の前で立ち止まってしまったんよ。ドアが閉まりそうだったからお母さんは慌てて下の子の脇を抱えて電車に乗せたんよ。あれは焦るよな、とか思いながら見てたんやけどふと周りを見渡したら車内の多くの人がその親子を見ていた。面白かったからそこからは親子よりも親子を見ている乗客たちをコッソリ見ることにした。

私の向かいにおばさんが2人座っていて、片方は「あ〜かわいい〜」みたいな感じで見てるんやろうなっていう顔してて、もう1人のおばさんは、なんか眉間にしわを寄せいた。子ども嫌なんかな。

上の子どもが風船を持ってたんやけど、私は風船恐怖症やから子どもというより風船は嫌だった。でもまあ風船は割れなければよい。風船が怖いのは私の問題やから、その子が風船を持ってることに嫌な顔はすべきでないと思うんやけど、もしかしたらそのおばさんは私と一緒で風船が怖かったんかな。いや、ひょっとするともともとそういう顔なんかもしれん。

そんで、そのなんか嫌そうな顔してるおばさんの足下をふと見たらな、めっちゃかっこいい真っ赤なスニーカー履いてたんよ。え、めっちゃかっこいいな!と思って、それで、おばさんそのめっちゃかっこいいスニーカー買った時はどんな顔してたんやろうか、とか思った。そうこうする間に駅に着いた。

 

駅から目的地まで歩いてると、雨の中傘もささずにすごい勢いで走っとるおじさんがおって、うわぁと思ってよく見たら傘4本持っとったんよ。こうもり傘とビニール傘2本とピンクの子供用傘。一家族分の傘を持って、雨の中を1人で走るおじさん。あんまりその状況想像つかんのんやけど、もしかして家族が駅に着いてて、傘忘れたから持ってきてって電話でもかけてきたんかな。にしても自分の分くらいは、させばいいのに。

 

こういうことを常に考えてしまうし考えたらすぐに書いてしまうけど、書かれる方は大変気持ち悪いだろうな。

例えばさ、私が持ってる傘の柄は木製なんやけど、丁寧に扱わんかったせいでちょっと表面が剥げてるところが所々あるんよ。それ見ていっつも自分で「かじったみたい」って思う。けどそれ他の人に「うわ、かじったんかな」とか思われたら、「いや違う違う違うから〜やめて〜」ってなるやん。あー、ちょっと話ちがうかな。

 

まあ、そんなこんなんですね。雨止まんかな。

日常

ある土曜の夜、商店街を歩いたら、酔っ払いが多かった。周りでたくさんの人がフラフラ歩くので、私もまっすぐ歩けていないのではないかと心配になった。それで道路の端の線を見ながらまっすぐ歩けているか確認したりした。

商店街を抜けて、下ばかり見ていると危ないと思ったので上を見た。すると知らない家の二階の窓からこちらを向いているぬいぐるみたちと目があった。

歩きスマホとすれ違ったのでさっと避けた。こういうとき私はちょっと意地悪なので、私が前を見ていなかったらぶつかったのかな、とか考える。私も歩きスマホをしてしまうときはあるけど、人とぶつかることはない。多分、相手が避けてくれているからだ。

ちょっとだけズルいことをする人が許されるのは、ズルしない多くの人の存在によると思う。実際は、問題が起こらないので許されているみたいに感じられるだけで、許されてはいないだろうけれど。

歩きスマホよ、おまえが私とぶつからなかったのは私のおかげだぞ、なんて、ちょっと偉そうに思いながらも、前を向いて歩く人でいたい。

やっと書けた

湯船を盗まれる夢を見た。夢の中で私は2人部屋の寮のようなところに住んでおり、寝ている間にユニットバスの湯船部分だけ盗まれてしまった。びっくりである。そしてそれは私の戸締りの甘さのせいであると、ルームメイトにひどく叱られた。

がらんとしたお風呂場を眺めながら私は考えた。誰が湯船を盗んだのか。ユニットバスなのになぜ湯船だけ持ち出すことができたのか。そもそも湯船なんか盗んでどうするのか。なんて少し面白く思いながらも、自分が寝ている間に人が入ってきて物を持ち出されたことには恐怖を感じた。

部屋のドアを開けると廊下を挟んだ向かいにラウンジがあって、多くの学生が勉強していた。数人がこちらを見てコソコソと話しているのが見える。湯船を盗まれたことがもう話題になっているようだった。そのラウンジは少し薄暗かったが、きちんとした机と椅子があって居心地がよさそうだった。あ、これは便利だな、これからはここでレポートを書こうと思った。

それで、 起きた。

 

このおかしな夢は少し前に見て、それからずっとこのことについて書こうとしていたのだが、レポートを書くのに精一杯で、夢のことを書くのは我慢していた。

そういえば研究室でレポートを書きながら仲間と話していた時、私たちが書いているのはゴミのようなレポートなのかレポートのようなゴミなのかという話題になった。レポートのようなゴミだとしたらレポート提出はすなわちゴミ出しである。となると教授のレポートボックスはゴミ捨場なのか!?大変失礼である。

 

 

 

 

数週間前から家の外で蝉が鳴き始めた。そういえば虫は声を発しているわけではなくて羽で音を出してるはずなのに、鳥とかと同じように「鳴く」という。「鳴く」って人間には使わないから、人間以外の動物が身体を使って音を出すことをいうんだろうかね。そもそも「鳴く」は「泣く」と音が同じで漢字が違うだけだから、日本に漢字が入ってくる前には人間が泣くのも虫が鳴くのも同じように捉えられてたんだろうか。

あと、冬と夏、どちらが夜の外の音がうるさいのかという問題。このことについて前も書いた気がするけど書いていないかもしれないからもう一度書く。夏の夜は色んな虫が鳴いていたりして常に音がしている。それに対して冬の夜はシーンとして静まり返っているようなイメージがある。しかし冬は窓を閉め切っているから、外で音がしていても聞こえないだけかもしれない。だから、私は冬の方が静かだとは言い切れない気がするんだけど、冬は虫が鳴かないから窓を開けても静かなのかもしれなくて、まあどちらの方がうるさいか決めたところで何も起こらないから考えるのは意味がないだろう。でも私は意味のないことを考えるのが好きだからやめないぞ。

さて、梅雨が明けたとか蝉が鳴いたとか色々あって、ようやく夏本番という感じがしてきた。気分も盛り上がる。暑いのが苦手な人はテンション下がってるかもしれないから申し訳ないけど、私も冬には寒くてテンション下がるから、お互い様ってことでゆるして。

 

夏は高い位置でポニーテールを揺らしたい。Tシャツを着た人の背中を眺めたい。手のひらをぐっと開いた時に水かきのところが白いのを発見して日焼けに気付いて焦りたい。クーラーを効かせた部屋を暗くしてポップコーンも用意して映画館みたいにしてDVDを観たい。日が暮れて涼しくなってから外を散歩したい。玄関に蚊取り線香を置きたい。まだ涼しい間に起きて朝ごはんを食べたい。手持ち花火はちょっと怖いけど、いいからやりなよーとか言われてビビりながら火をつけて騒ぎたい。あー、夏だ!夏だ!夏休み!

(その前にテストとレポート)

知ってから嫌いと叫べ

前に更新した日から1ヶ月たったとき、お知らせのメールが来た。1ヶ月更新されてませんがいかがですか。こんなお題で書いてみませんか。

違うんだよな、書くお題ならいくらでもあった。書かなかっただけで別に何も考えてないわけじゃないからさ。ただ上手く文章にできなくて、書いては消して書いては消しての繰り返しで、下書きばかりが溜まった。

そうこうしている間にブログを始めて1年が経ったことに気づく。続くか分からないけど「ものはためし」なんて言って書き始めて、おためし期間はもうとっくに過ぎてしまった。そういえば、バイト先で研修期間を過ぎても仕事が覚えられなくて、いつまでも研修バッチが外せない後輩がいたな。彼はそのまま辞めてしまったけれど、私はもう少し粘るぞ、おためし期間を。

言い訳やら宣言やらはこのくらいにして、最近自分に対して思うことを書く。「人は」なんて書き方してるからお説教みたいにうつるだろうか。違いますからね。

 

 

分からないことについて人は嫌悪感を抱くのだと思う。分からないものは怖いから。自分が何かを嫌だと感じるとき、それには理由があるだろうか?もしハッキリした理由なく嫌いだと言っているのなら、それはただ知らないからだけかもしれず、残念なことだと私は思う。

例えば、知らない人と会話するのが苦手な人は多いと思う。私は人と話すのが得意な方だが、それでも少し抵抗がある。その時に、相手との会話にはめんどくささを感じるかもしれないけれど、相手のことを嫌いなわけではない。でもたまに、そのめんどくささから、まるで相手のことを嫌いかのように感じてしまうことがある。ところが本当は、その相手はとても面白い人かもしれない。めちゃくちゃ気が合うかもしれない。

何が言いたいかというと、知らないという理由で何かを嫌がったり、そのことに気付かないでまるでそのものが嫌いかのように感じてしまうことは、ものすごくもったいない。
新しいことをしようとして、なんだか嫌だなと感じたとき、本当に避けるべきかどうかはまずある程度知ってみないと分からないんじゃないか。それこそ「ものはためし」と思って。

とはいえ、やっぱりめんどくさいとも感じる。やだな。辛いな。でもがんばれ私。知ってから嫌いと叫べ。

最後のひとつ

クッキーをむしゃむしゃ食べていて、気づいたら全部なくなっていた。あれ、もうないのかなと思って袋を覗いたら空っぽで、空っぽなことは別にいいんだけど、最後のひとつを最後のひとつだと認識して食べられなかったことが悔しかった。

私は兄弟がいるので、小さい頃からお菓子なんかを分け合って食べることが多かった。その中でできた、今思うとおもしろいルールがある。

「誰かが食べているお菓子を分けてもらうとき、分けてと言われた人は嫌がらずに分けてあげなければならないが、それが最後のひとつ/ひとくちの場合は断ってもいい」というものだ。ただ分けてもらうだけではなく、アイスをひとくちずつ交換する場合なども、お互い最後のひとくちになる前に交換を提案しなければならず、うっかりしていて相手がもう食べ終わりそうなところを発見したら、きっぱり諦める。

多分私達にとっては、これが最後 という気持ちが大切だったのだと思う。その覚悟なしに突然食べられなくなるとかなしい、みたいな単純な思考なのだと思うけど、その認識が兄弟全員に共通していて暗黙の了解になっていたのがおもしろいと思う。

これはただの兄弟ルールなので、他の人がどう思ってるのかは知らない。兄弟以外の人に何か分けてと言われたとき、私はそれが最後のひとつだというだけの理由で断ったりはしないけれど、心の中でちょっとだけ「あら残念」くらいは思うんだけどどうなんでしょう。

 

これが最後だ と認識できることって、あまり多くないかもしれない。満開だった桜は気づかない内に葉桜になっているし、高校を卒業して以来会っていない友達はもしかしたらもう一生会わないかもしれないし、次帰省するまで家族が元気か分からないし、なんなら私もいつまで生きるか分からないのでさっき食べたクッキーが私の最後の食事になるかもしれない。クッキーは見たら残量が分かるけど、そんな風に分かる事の方が絶対に少ない!と突然怖くなった。でもそんなもんか、そんなもんだぞ。だって、嫌なことも予測できずに突然起こるけど、いいことだって突然起こったりする。例えば誰か新しい人とばったり出会うとき、それは「その人と会っていない状態」の突然の終わりでもある。そういうこと。

もう何が何だか。気づかない内に何かが始まったり終わったりしますよ と書かれた人生の利用規約みたいなやつの同意ボタンをうっかり押してこの世に出て来でもしたのかしら。読めないくらいめちゃめちゃちっさい字で一瞬だけ表示されてて見逃したんじゃないの。

まーいっか。 

たたかいは終わらない

学校に1週間行ったら疲れてしまい、身体中痛くて憂鬱になった。それで、「せんせぇもう無理ですぅ私生きられません…」って言おうと思って病院に行ったんだけど、いざ診察室に入ったら急にシャンとして「しばらく落ち着いてたのに最近脚とお腹の痛みが増して心配なんです」とか言ってさ、結局精密検査することになったので紹介状を書いてもらい大きい病院を予約して帰って来た。

先生「脚の痛みは一応原因不明だから、何から攻めるかなぁ。お腹が関係してるなら婦人科だし、そうじゃなきゃ血管系か、整形か、神経内科でもいいよ!どうする?わかんないよねぇ!よし、先生が決めるぞ!まず婦人科で調べよう!」

なんかよく分からないけど選択肢がいっぱいで楽しいな。とりあえず方針が決まった。

 白旗を挙げるつもりが、新たなたたかいに足を踏み出した気がするんだけど、そもそも白旗なんてものは私に用意されてないんだと思う。逃げ出すこととたたかうことが同じことなのだ。

高橋優は「抱えきれない痛みは抱えなくて別にいい」と歌う。いや私の痛みは投げ出せないんですけど、とか思うんだけど多分そういうことじゃなくて、現実逃避しながらやっていこうやっていう意味なのかもしれない。

せっかく死なない病気なんだから、ストレスとかで死にたくなりたくない。ということで、動けなくても気晴らしにできそうなものを帰り道の百均でたくさん買ってみた。f:id:kamitoenpitsu:20170414183305j:image

例えば読書とか勉強は、本当に気が狂いそうなときにはできない。だから子供が遊ぶようなおもちゃなんかが多いんだけど、本当にこんなもので精神を保てるんだろうか。

最初にゴムボールを膨らませた。パッケージに「15センチくらいまで膨らみます」みたいに書いてあって、そのくらいのサイズの表記があるとすぐにお腹の中の爆弾のことを考えてしまうんだけど、今の私の嚢胞は何センチなんだろう、多分このボールの半分もないと思うしもしこのボールくらい腫れてしまったら手術確定だな、というところまで考えて、何の意味もないので考えるのを辞めた。

お腹と脚は痛いので、腕だけ使う運動がしたかった。とりあえず壁に向かってボールを投げてみたら思いのほかよく跳ねて、手元まで戻って来た。それで何度も何度も壁に向かってボールを投げてはキャッチして遊んだ。最近ずっと杖をつくから右腕だけ筋肉が発達している気がする。だからバランスをとろうと思って利き手じゃないけど左手でもボールを投げた。

大学生なのにこんなことばかりしていたらアホみたいだけど、こんなことで気が狂わずにいられるならいくらでもするぞ。少なくとも来週の月曜日までは生きないと。検査があるので。