ものはためし

書く訓練、備忘録

最後のひとつ

クッキーをむしゃむしゃ食べていて、気づいたら全部なくなっていた。あれ、もうないのかなと思って袋を覗いたら空っぽで、空っぽなことは別にいいんだけど、最後のひとつを最後のひとつだと認識して食べられなかったことが悔しかった。

私は兄弟がいるので、小さい頃からお菓子なんかを分け合って食べることが多かった。その中でできた、今思うとおもしろいルールがある。

「誰かが食べているお菓子を分けてもらうとき、分けてと言われた人は嫌がらずに分けてあげなければならないが、それが最後のひとつ/ひとくちの場合は断ってもいい」というものだ。ただ分けてもらうだけではなく、アイスをひとくちずつ交換する場合なども、お互い最後のひとくちになる前に交換を提案しなければならず、うっかりしていて相手がもう食べ終わりそうなところを発見したら、きっぱり諦める。

多分私達にとっては、これが最後 という気持ちが大切だったのだと思う。その覚悟なしに突然食べられなくなるとかなしい、みたいな単純な思考なのだと思うけど、その認識が兄弟全員に共通していて暗黙の了解になっていたのがおもしろいと思う。

これはただの兄弟ルールなので、他の人がどう思ってるのかは知らない。兄弟以外の人に何か分けてと言われたとき、私はそれが最後のひとつだというだけの理由で断ったりはしないけれど、心の中でちょっとだけ「あら残念」くらいは思うんだけどどうなんでしょう。

 

これが最後だ と認識できることって、あまり多くないかもしれない。満開だった桜は気づかない内に葉桜になっているし、高校を卒業して以来会っていない友達はもしかしたらもう一生会わないかもしれないし、次帰省するまで家族が元気か分からないし、なんなら私もいつまで生きるか分からないのでさっき食べたクッキーが私の最後の食事になるかもしれない。クッキーは見たら残量が分かるけど、そんな風に分かる事の方が絶対に少ない!と突然怖くなった。でもそんなもんか、そんなもんだぞ。だって、嫌なことも予測できずに突然起こるけど、いいことだって突然起こったりする。例えば誰か新しい人とばったり出会うとき、それは「その人と会っていない状態」の突然の終わりでもある。そういうこと。

もう何が何だか。気づかない内に何かが始まったり終わったりしますよ と書かれた人生の利用規約みたいなやつの同意ボタンをうっかり押してこの世に出て来でもしたのかしら。読めないくらいめちゃめちゃちっさい字で一瞬だけ表示されてて見逃したんじゃないの。

まーいっか。 

たたかいは終わらない

学校に1週間行ったら疲れてしまい、身体中痛くて憂鬱になった。それで、「せんせぇもう無理ですぅ私生きられません…」って言おうと思って病院に行ったんだけど、いざ診察室に入ったら急にシャンとして「しばらく落ち着いてたのに最近脚とお腹の痛みが増して心配なんです」とか言ってさ、結局精密検査することになったので紹介状を書いてもらい大きい病院を予約して帰って来た。

先生「脚の痛みは一応原因不明だから、何から攻めるかなぁ。お腹が関係してるなら婦人科だし、そうじゃなきゃ血管系か、整形か、神経内科でもいいよ!どうする?わかんないよねぇ!よし、先生が決めるぞ!まず婦人科で調べよう!」

なんかよく分からないけど選択肢がいっぱいで楽しいな。とりあえず方針が決まった。

 白旗を挙げるつもりが、新たなたたかいに足を踏み出した気がするんだけど、そもそも白旗なんてものは私に用意されてないんだと思う。逃げ出すこととたたかうことが同じことなのだ。

高橋優は「抱えきれない痛みは抱えなくて別にいい」と歌う。いや私の痛みは投げ出せないんですけど、とか思うんだけど多分そういうことじゃなくて、現実逃避しながらやっていこうやっていう意味なのかもしれない。

せっかく死なない病気なんだから、ストレスとかで死にたくなりたくない。ということで、動けなくても気晴らしにできそうなものを帰り道の百均でたくさん買ってみた。f:id:kamitoenpitsu:20170414183305j:image

例えば読書とか勉強は、本当に気が狂いそうなときにはできない。だから子供が遊ぶようなおもちゃなんかが多いんだけど、本当にこんなもので精神を保てるんだろうか。

最初にゴムボールを膨らませた。パッケージに「15センチくらいまで膨らみます」みたいに書いてあって、そのくらいのサイズの表記があるとすぐにお腹の中の爆弾のことを考えてしまうんだけど、今の私の嚢胞は何センチなんだろう、多分このボールの半分もないと思うしもしこのボールくらい腫れてしまったら手術確定だな、というところまで考えて、何の意味もないので考えるのを辞めた。

お腹と脚は痛いので、腕だけ使う運動がしたかった。とりあえず壁に向かってボールを投げてみたら思いのほかよく跳ねて、手元まで戻って来た。それで何度も何度も壁に向かってボールを投げてはキャッチして遊んだ。最近ずっと杖をつくから右腕だけ筋肉が発達している気がする。だからバランスをとろうと思って利き手じゃないけど左手でもボールを投げた。

大学生なのにこんなことばかりしていたらアホみたいだけど、こんなことで気が狂わずにいられるならいくらでもするぞ。少なくとも来週の月曜日までは生きないと。検査があるので。

暮らす

先日ある人が「暮らすのが好き」と言っているのを聞いて、面白かったのでそのことについて考えていた。その人は料理や部屋づくりが好きで、そういう仕事に就きたいともいう。

少し前、病気で寝込んでいる時にずっと考えていたけれど、「生きる」と「暮らす」は全然違うね。「生きる」は病人でもできるけど、布団や狭い部屋の中で日がな一日過ごし、食べたいものも食べられず行きたい所にも行けず着たい服も着られぬようでは暮らしていると言えないと感じた。なんというか、「暮らす」というのは生きている実感だろうか、当たり前の積み重ねだろうか。

今、少し元気になった私は、丁寧に暮らしている。よく眠り、美味しいご飯を食べる。無理のない程度で部屋を片付けたり、植物の世話をしたり、洗濯をしたり、近くのスーパーに買い物に行ったり、得意じゃないけど料理にも挑戦したりして。

本当だったらサークルやアルバイト、他にも色々としたいことやしなければならないことがあるけれど、今はその体力がないから、ただ暮らすことに集中している。

もっと元気になったらもちろん、絶対に、やりたいことを全部やってやる。そして、今の暮らしの丁寧さは元気になればなるほど忙しくなって失われていくんだろう。それでいい。

だけどさ、この平和さや暮らしの喜びは、忘れないでいたいな、なんて思うよ。

‪近所の池の周りを散歩していたら、う がいた。う だけがいた。私は思わず「うだ!」と言った。そして、う が水に潜っては魚を捕まえるのを10分くらい眺めていた。‬

‪昔、その池にはよく鷺がいた。青鷺という名前だけど本当は灰色の鷺と、白鷺という名前で本当に真っ白の鷺と、二種類。鷺は人間の叫び声に似た、ぎゃーっという鳴き方をする。頭を前後に揺らしながら慎重に歩く。私は幼い頃鷺の歩き方を上手に真似て家族を笑わせた。‬
‪そのうちなぜか青鷺はいなくなり白鷺だけになった。しらない人が白鷺を見て、鶴と間違えることがあった。鶴がこんなただの池にいるわけがないと、大人たちは笑った。私はたしかに鶴が綺麗で珍しいのは知っていたが、白鷺も綺麗だと思っていたので、なぜ鶴と鷺の格がそこまで違っているのかいつも疑問に感じていた。しかしそんな白鷺もいつの間にか姿を消した。‬
‪前見た時には鴨がいた。そして今、鴨はおらず、ただ鵜が一羽、ぷかぷかと水に潜っていた。鵜を見たことはあるからすぐに鵜と分かったけれど、その池で見るのは初めてだった。‬

鳥がいなくなったり新しくやってきたりするのがいいことか悪いことか、私には分からない。渡り鳥は季節によって移動するからいたりいなかったりするのは自然だし、他の生態系の変化のせいかもしれない。人だって、色々理由があって行ったり来たりするんだから鳥も色々あるんだろう。

 

最初、鵜のことを平仮名で「う」と書いたけれど、平仮名でただ一文字というのは本当に間が抜けて見えるから面白い。私は鵜が泳いでいるのを見て、「う が泳いでいる!」と思い、後で、「う が泳いでいたな」と思い、絵にしてみた。(わりと真面目に。)

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 絵を書き終わった時に日付を入れようと思って、勘で書いてからカレンダーで確認したら、2日も前の日付だった。毎日毎日、早く時間が過ぎろと思いながら暮らしているのに、いざ時が経っているのを実感したらすこし寂しいものだから不思議だ。では一体どうしたらいいのだろ鵜。

痛い

書くことは受け容れることだと思う。私がこうして事細かく書くのは、全て終わった後に読み返して笑える日が来ることを期待しているのと、書きながら自分でも考えをまとめているのと、単純に書くのが好きでストレス発散になるからと色々理由はある。
読むことはどうだろう。自分は色々いいことがあるから書いているけれど、これを公開することには少し抵抗があった。内容が少し暗いのと、ただの闘病日記を他の人が読んで面白いわけがないと思うからなのだが、そんなのはいつもの記事も変わらないと思った。今自分の頭の中の大半を占めているのが「痛い」ならば、それについて書くのが自然だし、とまぁごちゃごちゃ言っても仕方ないのでこの先は興味と時間があれば読む程度でお願いしたい、とだけ言っておく。

 

 

さて、私は今内臓のある部分を患っていて、そこが他の器官と癒着し始めている。らしい。ので身体のあちこちがひどく痛む。あちこちと言ってもだいたい右側が多い。どんな感じかは説明しにくいが、インフルエンザのときの高熱で節々が痛むあれと似ている。あと、そのよくない部分は痛いんだけれど、痛いというか冷たい感じがする。色で言うと白か銀。そしてずっと続いているので、だんだん痛いという感覚が分からなくなってくる。

つくづく、こわい。薬が効いている間は痛みがほとんどないので、あれ私元気なのでは、とか思う。しかしちょうど薬が切れる時間になるとキッチリ痛みが戻ってくるのでやっぱり元気じゃないということを思い出す。感覚としては、痛み「ただいまー」私「おかえりー」なのだが、よく考えるとそれは違う。痛みは一日中私のそばにいるのだが、私が痛み止めというサングラスをかけて、そいつを見えなくしているだけだ。だから実際は、痛み「ずっとここにいるよ」私「ああいたんだね」という感じ。

 大丈夫という言葉が欲しいけど大丈夫じゃないんだからそんな根拠のないことなんて言わないでとも思う。だれか私のそばにいて。ひとりじゃ耐えられないよ。

 

1/18

MRIを受けて来た。思ってたのと違う苦痛だった。音のうるささや恐怖が来ると思っていたけど、そんなより、身体を固定するためにお腹の痛い部分を締め付けられたのが苦しかった。MRIの仕組みはよく知らないが、超音波のようなものを使って身体の中まで輪切りみたいな状態で映し出せるようだった。ピーピーブーブーと大きな音がずっと鳴る。かなりうるさくなるので、耳栓代わりにヘッドフォンをして音楽を聴くことができます、好きなのを選んでください、と音楽のリストが渡された。クラシックとかアイドルとか色々あったが、私はミスチルを選んだ。ミスチルはそんなに詳しくないのだが、たとえ知らない曲が流れても、あの力強くて優しい桜井さんの声が聴けたらきっと心の支えになるだろうと思ったからだ。検査は20分程度かかるとあらかじめ教えられていて、1曲がだいたい5分くらいだから4曲聴く頃に終わる計算で、実際は4曲目の途中で終わった。ハリドリ(ユニバーサルスタジオにあるハリウッドドリームザライドという、座席から音楽が流れるジェットコースター)のようだった。まぁそれは後で思ったことで、そのときはそんなにワクワクしなかった。それよりも、絶対音感の人だったら、ブーブーいう音程が変わるたびにどの音か当てられるんだろうな、とか考えていた。私は相対音感しかないので、最初に「この音がドです」と教えてくれていれば多分その後の音は当てられたのにと思って少し悔しかったが、これは検査であり決してそういう音を当てるゲームではないのでそんなことで悔しがるのはおかしかった。

検査結果は1週間後に出る。結果を知るのは先だが、状況としてはもう確定しているということだから、その中どんな気持ちで1週間過ごせばいいのか。入試を受けてから発表の日までの受験生みたい。

 

1/20

実家にいる。元々の病気に加えて風邪をひいてしまって、もうやっていけないので帰ってきた。厳密に言うと実家ではないが、家族が何人かいるからそこはお家といえる。そろそろ来週のバイトのシフトを出さないといけないけれど、検査の結果も出ないし、この先のことが全く読めないから来週もきっと働けない。人手不足なところ申し訳ないが、俊敏に動けないのに働けるわけがない。私は、どうなるのかしら。

ところで、常に違和感というか痛みがあるので、もう痛いのか痛くないのか、 痛いとは何なのかが分からない。動けるのか動けないのか。動けない気がしているだけで実際は動けるのか、分からない。病は気からというが、これはその類なのかわからなくて、辛い。

 

1/23

昨夜は本当にしんどかった。痛み止めを飲んでから効くまで痛くて辛くて、しくしく泣いていた。狭い家にそんな私がずっといるものだから、家族のバランスが崩れてしまったのがわかる。しかし私の存在はきっかけでしかなく、元々上手くいっていないのが今露わになっただけだとも思えた。姉と母を見ていると、もっとこうすればいいのにと思うことがたくさんでむずむずするけど、それは二人の問題である。私は聞かれれば何か意見を言えばいいけれど、基本的に愚痴をきく係に徹するのがいい気がした。結局のところ、家族であっても他人という意識が私の中にあるのかもしれない。たまたま血が繋がっていたり一緒にいる時間が長かったりするから自然と分かり合える部分が大きいけれど、それでも絶対に分かり合えない部分がある。助けられない部分がある。それをもう諦めてしまっている私は冷たいのだろうか。愛が足りないのだろうか。姉は外面はいいが家族にはよくきつい態度を取る。家族といえど他人のようなものだということを分かっていないのだろうか。もうみんな大人なんだから、私以外の家族の問題は私以外で何とかして欲しい。私は今、自分のことで手一杯なのだから。

 

1/25

検査の結果が出た。MRIで撮った私の内臓の輪切り画像を、お医者さんと母と私の3人で眺めた。おお、分かりやすく患部が大きく写っていた。ラッキーなことに、それは左右1個ずつある臓器で、健常な方と比べて見ることができた。大きさや形が明らかに違っているのが分かって、なるほどこれは痛くて当たり前だなと思った。お医者さんが病名を告げた。変な話だが、予想通りの病名だったので、少しほっとした。病名が分からないというのは先が見えないことなので本当にストレスフルである。それが、病名が明らかになり、治療方針が立ったので嬉しかった。

2/7

最初に病院に行った日から1ヶ月経った。もう2月か。今の所、良くなっていくという実感はなくて、ずっと足踏みしている気分だ。こんな風に、気付いたらもう4月で新学期、なんてことが起こりそうでこわい。今日はやっと、祖父母に病気のことを打ち明けた。ちょうど同じ時期に祖父が体調を崩していたので余計な心配をかけたくなくて、言えずにいたのだ。だから祖父母のいる実家ではなくて、実家から少し街に出たところで暮らしている姉の家に転がり込んでいる。母はその家と実家を行き来して私や祖父母の面倒を見ているのだが、祖父母には私が帰ってきていることは黙っていた。打ち明けたと言っても母が少し話してくれだだけで、私は直接会ってはいない。祖父の体調も落ち着いたということで、明日とうとう本当の実家に帰って祖父母に会う。楽しみなんだか楽しみでないんだか分からない。

2/8

祖父母のいる実家に帰ったが、気を遣ってか病気のことには全く触れられなかった。代わりに学校のことやサークルのことを色々聞かれた。しかし私は最近学校もサークルも行けず、頭の中も病気のことでいっぱいだったのでそんなことを話すのは逆に苦痛だった。もうやめて。気を遣わないで。病気の話をさせて。しばらく我慢して楽しそうに学校の話をしてみせたが、こちらはそうやって気を遣い、向こうも無駄に気を遣い、どちらも得しない状況、変だなと思った。祖父の病気の話を聞いて、そのついでにポロっと自分の話もした。優しく聞いてくれたので勢いで全部話して、とても楽になった。1番嬉しかったのは、まだ実家に帰って来る前に一人暮らしをしながら自分で色んな病院を回ったこと、検査も一人で行ったことに対して、えらいねよく頑張ったねと言ってもらえたことだった。そんなの当たり前だから労うことでもないだろうと思われるかもしれないが、しんどいときに一人で病院に行くのはとても辛い。ただでさえしんどくて判断力が低下しているのに、どの病院に、いつ、どうやって行くか、学校やバイトは休むか、そういう判断を全部一人でしなければいけないのだ。そして行った先で告げられるショッキングなことを一人で受け容れるのもなかなか辛い。もう大人なんだし自分の身体のことを自分でなんとか助けなくてどうするんだ、その一心でずっと気を張り詰めて頑張ってきたので、祖母のその労いの言葉に泣きそうになった。ちなみに母は、具体的に解決に繋がること(病院に行くとか薬を飲むとか痛いところをマッサージするとか)は大事にするけれど、どうにもならない状況を一緒に嘆いたり慰めてくれたりすることはないタイプなので、祖母はその分を補ってくれていると感じる。もちろん、本当にしんどいときに同情だけされても仕方がないのでどちらがいいとか悪いとかいうわけではなくて、どちらも違う形の優しさであり、今の私はその両方を求めているから、その二人が側にいてくれてとてもありがたい。

2/11

昨日新しい病院(今までは下宿先の近くの病院にかかっていたが、実家に帰ってきたためこちらの近くの)に行って、色々症状を訴えたところ飲む薬が変わった。今までの薬は進行を止めることはできても直接治療にはならないものだった。新しい薬は進行を止めるだけではなく患部を萎縮させる働きがあるらしい。だから痛みの根本を取り除くことに繋がるので、私はとても希望を持っていた。しかし値は張った。その薬自体に痛みを抑える効果があるため痛み止めは処方されなかった。そのせいか分からないが、今とてつもなく身体が痛い。‪お腹と腰と脚が痛い。気休めにスマホゲームのツムツムをすることもできないくらいに痛い。ミスチルを流しながらしくしく泣いてるけど、これだと元気になってからミスチルを聴いたとき今のこと思い出すんだろうなと思ってまたそれがかなしくてしくしく泣く。そういえば検査の時もミスチルだったし、闘病ソングになってしまう。でもいいか。私の中に部活ソングも、受験ソングも、病みソングも、恋愛ソングも、思い出とリンクして色々あるけど、それを聴いて懐かしいと思えるということはもう終わっているということだ。その時を楽しみにしていればいいか。

バレンタインが近いので、街中バレンタインイベントで溢れている。はずである。私はあまり出かけないので確かめてはいないが、少なくとも私がハマっているツムツムというゲームではバレンタインイベントが開催されているし、ネットでもよく見る。しかし、私は今チョコレートという言葉をあまり聞きたくなかった。なぜならば今患っている自分の病気というか症状の名前が「チョコレート嚢胞」と呼ばれていて、これは患部の見た目から付けられた名前なのだが、どうしてもチョコと聞くと痛いお腹のことを思い出してしまうのであった。

この話はあまりしたくない、というのはいくつかあって、それはいつ治るのかということと(これは自分でも分からないし考えるのが辛いから)、車のこと(自動車学校の期限が迫っているのに通えない状況なので非常に焦っている、しかしいくら心配したところでどうにかなることではないから)で、このこと以外には今の所話したくないことはない。といっても今私の頭の中は自分の身体のことしかないんだけども。まぁとにかく変に気を遣わないでほしい。

 

以上、こんなに長いのは初めて書いた。といってもこれは何日もかけて少しずつ書いた日記を集めたみたいなやつなので、そんなものだろう。これからも少しずつ書くし、気が向いたら公開もする。

6センチとアイスと瞬きのリズム

6センチ。急に、直径6センチとはどのくらいの大きさだろうかと気になった。たまたま近くにものさしかあったので確認しようとしたら、目盛りが全部禿げて見えなかった。なんだこれは、もはやものさしとは言えなくないか。私の知る限り、ものさしには2つの用途があって、1つは長さを測ること、もう1つは直線を引くことだ。そのものさしは1つ目の用途には使えないが2つ目はいけるので、まだものさしと言えるかもしれない。ただ、直線を引くだけなら別にものさしを使わずとも、その辺の物を使ってもできそうだった。例えばハンガーとか。私はハンガーで直線を引いたことはないが、その気になれば不可能ではないと思う。こういうことを言うと、直線を引くのを本職にしている人に怒られるのではないかと思ってびくびくする。直線を舐めるな、ものさしを舐めるな、と。

6センチの話に戻る。私のお腹の中には今、6センチくらいの爆弾が、埋まっているらしい。そのことを考えた。その爆弾の存在が私全体を、少しずつ腐らせていると思った。手脚だけでなく、頭や心も。もういっそ、爆発してしまえばいいとさえ思うのだが、おそらく爆発してもなお全ては終わらず助かってしまい、その後は今よりも辛い思いをしなければならなさそうだからそれは困る。

隣で姉がアイスを食べ始めた。私は元々お腹が弱く、お腹を冷やすことは諸悪の根源だと思っているので、寒い季節になってからずっと禁アイスを心がけていた。しかしどうにも我慢ができず、姉が食べているもちふわ抹茶最中ナントカを、一口もらってしまった。いとも簡単に、禁アイスの誓いは破れてしまったのである。

そもそも、と私は考えた。アイスというのは凍っているからアイスなのであって、溶ければただの甘い液体ではないか。口の中で完全に溶けるのを待ってから飲み込めば、それはアイスを食べたことになるのか?もちろん、成分的には間違いなくアイスなので、アイスを食べたことにはなるかもしれないが、私の場合アイスが冷たくてお腹に悪いからという理由で禁止しているだけである。冷たくないアイスはそれほどお腹に悪くない。ならば、溶けたアイスをお腹に入れた罪は軽いではないか!!!急に嬉しくなって、私はにやにやしそうなのを必死で抑えた。

そんなことは全く知らないはずの姉が2メートルほど先で残りのアイスを食べ終えたところだったが、突然吹き出して笑い始めた。何事かと見ると、携帯をいじっている風でもなくただ私を見て笑うので、何か私がおかしなことでもしたようだった。私は「食アイス罪軽減万歳」の件がバレでもしたのかと一瞬思ったが、そうではないことはすぐに分かった。姉が言ったのだ。

「あんたの瞬きの音がきこえる」

苦手なもの

昔から子どもと犬が苦手なのだが、なぜか最近子どもが好きになってきた。だってかわいいじゃないですか。

だってかわいいじゃないですかというのは犬好きな人がよく言うけれど、私はずっとそれが許せなかった。たしかに好きな理由にはなっているけど納得はできない。世の中の風潮として、犬はかわいいから皆好きみたいなのがある気がする。でもそう思わない人も当然いるはずなのだよワトソン君。

大学の中庭でよく犬が走っている。リードを引きずって飛んだり跳ねたりする。近くでおばさんが、楽しそうにそれを見ている。おばさんの犬だ。私はキャンパス移動のためにその中庭を突っ切らなければならないのだが、繋がれていない犬のそばを通るのはとてもつらい。大学は犬の遊ぶところではない、人間が勉強するところだぞ、などと思う。しかし犬とおばさんはとても楽しそうで、よく考えたら国立大学の中庭である。きっと犬とおばさんが遊んではいけないというルールもないし、大学は人間が勉強する場所というのは私の考えでしかなく、犬が苦手なのも私の問題であり、それを押し付けて犬とおばさんの幸せを奪う権利は、私にはないのである。息を止めて、できるだけにこにこして、颯爽と、通り過ぎる。

私は小さい頃、野犬にほえられたり追いかけられたり、子猫が野犬に殺されるところを見たりしてあまりいい思い出がないから犬が苦手なのだと思う。ただ、犬に追いかけられたことがなければ犬が好きだったかと言われると、それははわからない。そういえば、近所を野犬がウロウロし始める前から、はす向かいの家のタロちゃんが怖かったし、反対のはす向かいの家のマリーちゃんも怖かったし、隣の家のバンも(番犬とは呼べないほど大人しかったのにもかかわらず)怖かったから、もう生まれた時から私は犬が怖かったのかもしれない。そんななので、おそらく、何かが苦手だということは向き不向きもあって仕方がないことだ。

私は犬を可愛がれないことを残念に思う。皆のように犬を可愛がれたらいいのに。そのほうが人生ずっと楽しくなりそうなのに。楽しく生きるためには、苦手なものは少ない方がいい。だからといって、苦手なものがあることを気に病むのもどうかと思うから、難しい。

あんなに元気だったタロちゃんもマリーちゃんもバンも、もう死んで何年も経った。それでも、相も変わらず私は犬が苦手である。ひょっとすると、子どもと同じように、いつかかわいく思えてくるかもしれないので、悪あがきはせずにその時をただじっと待つ。