ものはためし

書く訓練、備忘録

遅刻ぎりぎりで登校しているとき考えること

地面に蟻がいる。蟻は私の足を避けることができるだろうか。蟻はそんなに速く走れないし、頭上の私の足を認識できるほどの視力を持っているのか怪しい。蟻は走っているつもりなのか歩いているつもりなのかどちらなのだろう。そういえば蟻のような小さな生き物は二次元で生きているようなものだという話を聞いたことがあるが本当だろうか。その話は理系の友達から教えてもらったのだが、そのとき私は、こんな面白い話をしてくれる理系の友達がいてよかった、もっといえば総合大学に入ってよかったと思った。そう思ったことだけはしっかり覚えていて、その話の詳細は忘れてしまった。あ、そのとき友達は蟻ではなくてカマキリを例に出していた気がするけど違ったかな。蟻だろうがカマキリだろうが私にとって小さいことに変わりはないが、蟻にとってカマキリは巨大な生き物だろうから話が全く違ってくるんじゃないか。

こんな風にくるくると考えを巡らせながら、せかせか歩く。せかせか歩くと、地面の蟻に注意を払えない。家を出てから学校に着くまでに私は一体何匹の蟻を踏み潰してしまうのだろう。しかし、せかせか歩かねば遅刻する。遅刻しないことと蟻を踏まないことを天秤にかけるとおそらく私は蟻を踏む。そうなると、蟻の命と授業なら授業が大事ということになり、そこで少し考え込んでしまう。

考え込みながらもせかせか歩く。

学校に着く。大学の遅刻というのは面白い。授業開始時間ではなく、教授より先に教室に入ればよく、しかも教授が定刻にやってくることはほとんどないのだ。特に天気が悪い日の方が遅いような気がする。しかし今日はまあまあ、天気がいい。

そうしてせかせか歩き続け、なんとか教授より先に教室に入り席に着いた私は、もはや蟻のことなどさっぱり忘れているのであった。

なぜ分かってくれないのだ、という気持ちになるとき、私は相手の「私のことが分からない気持ち」を分かってあげられていないので、全くもってお互い様である。

 

 

12月になった。この時期のイルミネーションはきれいで好きだが、子供の頃に親が「一晩中ぴかぴか光ってたんじゃ、自分がまぶしくて木は眠れないだろうね」と言っていたのをふと思い出して、電飾をまきつけられた街路樹たちに向かってがんばれよと言ってみたりする。

今日は年末の大掃除を分散してやろうと突然思いつき、カーテンを外して洗い窓ガラスを拭いた。窓には雑巾の筋が少し残り、私はそれが気に入らなかったのでそれならいっそ拭かなければよかったとも考えたが、それはそれで汚くて嫌だった。

早起きしたのに、掃除に夢中になったせいで学校に5分遅刻した。大急ぎで教室に入ると大きな教室に学生は1人もおらずしんとしていた。教室変更か休講の情報をチェックし忘れたのではないかと焦って掲示板を見に行ったが特に連絡はなく、貼ってあった時間割表を何気なく見ると今日は火曜日なのに、あると思っていた授業は金曜日だったと気づく。こんなまぬけなことがあるのか。

よく考えるとこれまで私はスマホのアプリで時間割を管理していて、最近スマホを水没させて別のに変えたばかりだったのでそのせいだと思った。自分の時間割と教室の位置すら覚えられないでアプリがないと曜日を間違えたり迷子になったりするというのはまぬけすぎる。でもそれは、覚えられないからアプリに記憶させるというよりも、アプリに記憶させた結果自分で覚えておく必要がなくなり忘れたのだという気がして、その後無事火曜日の授業の教室に15分遅刻で入室したが授業中はずっと記憶と記録の関係について考えていた。

雨止まんかな

今日は友達の誕生日。雨降ってる。

いつかの誕生日に兄姉がプレゼントしてくれた傘をさして、いつかの誕生日に友達がプレゼントしてくれた靴下を履いて、その靴下が濡れないように変な歩き方をして駅に向かって電車に乗ったんやけど、そこから目的地に着くまで20分くらい、なんかおもしろかったから書こうと思った。

 

電車に親子3人が乗って来た。母親と4才、2才くらいの男の子で、上の子はさっと乗ったのに下の子が電車の前で立ち止まってしまったんよ。ドアが閉まりそうだったからお母さんは慌てて下の子の脇を抱えて電車に乗せたんよ。あれは焦るよな、とか思いながら見てたんやけどふと周りを見渡したら車内の多くの人がその親子を見ていた。面白かったからそこからは親子よりも親子を見ている乗客たちをコッソリ見ることにした。

私の向かいにおばさんが2人座っていて、片方は「あ〜かわいい〜」みたいな感じで見てるんやろうなっていう顔してて、もう1人のおばさんは、なんか眉間にしわを寄せいた。子ども嫌なんかな。

上の子どもが風船を持ってたんやけど、私は風船恐怖症やから子どもというより風船は嫌だった。でもまあ風船は割れなければよい。風船が怖いのは私の問題やから、その子が風船を持ってることに嫌な顔はすべきでないと思うんやけど、もしかしたらそのおばさんは私と一緒で風船が怖かったんかな。いや、ひょっとするともともとそういう顔なんかもしれん。

そんで、そのなんか嫌そうな顔してるおばさんの足下をふと見たらな、めっちゃかっこいい真っ赤なスニーカー履いてたんよ。え、めっちゃかっこいいな!と思って、それで、おばさんそのめっちゃかっこいいスニーカー買った時はどんな顔してたんやろうか、とか思った。そうこうする間に駅に着いた。

 

駅から目的地まで歩いてると、雨の中傘もささずにすごい勢いで走っとるおじさんがおって、うわぁと思ってよく見たら傘4本持っとったんよ。こうもり傘とビニール傘2本とピンクの子供用傘。一家族分の傘を持って、雨の中を1人で走るおじさん。あんまりその状況想像つかんのんやけど、もしかして家族が駅に着いてて、傘忘れたから持ってきてって電話でもかけてきたんかな。にしても自分の分くらいは、させばいいのに。

 

こういうことを常に考えてしまうし考えたらすぐに書いてしまうけど、書かれる方は大変気持ち悪いだろうな。

例えばさ、私が持ってる傘の柄は木製なんやけど、丁寧に扱わんかったせいでちょっと表面が剥げてるところが所々あるんよ。それ見ていっつも自分で「かじったみたい」って思う。けどそれ他の人に「うわ、かじったんかな」とか思われたら、「いや違う違う違うから〜やめて〜」ってなるやん。あー、ちょっと話ちがうかな。

 

まあ、そんなこんなんですね。雨止まんかな。

日常

ある土曜の夜、商店街を歩いたら、酔っ払いが多かった。周りでたくさんの人がフラフラ歩くので、私もまっすぐ歩けていないのではないかと心配になった。それで道路の端の線を見ながらまっすぐ歩けているか確認したりした。

商店街を抜けて、下ばかり見ていると危ないと思ったので上を見た。すると知らない家の二階の窓からこちらを向いているぬいぐるみたちと目があった。

歩きスマホとすれ違ったのでさっと避けた。こういうとき私はちょっと意地悪なので、私が前を見ていなかったらぶつかったのかな、とか考える。私も歩きスマホをしてしまうときはあるけど、人とぶつかることはない。多分、相手が避けてくれているからだ。

ちょっとだけズルいことをする人が許されるのは、ズルしない多くの人の存在によると思う。実際は、問題が起こらないので許されているみたいに感じられるだけで、許されてはいないだろうけれど。

歩きスマホよ、おまえが私とぶつからなかったのは私のおかげだぞ、なんて、ちょっと偉そうに思いながらも、前を向いて歩く人でいたい。

やっと書けた

湯船を盗まれる夢を見た。夢の中で私は2人部屋の寮のようなところに住んでおり、寝ている間にユニットバスの湯船部分だけ盗まれてしまった。びっくりである。そしてそれは私の戸締りの甘さのせいであると、ルームメイトにひどく叱られた。

がらんとしたお風呂場を眺めながら私は考えた。誰が湯船を盗んだのか。ユニットバスなのになぜ湯船だけ持ち出すことができたのか。そもそも湯船なんか盗んでどうするのか。なんて少し面白く思いながらも、自分が寝ている間に人が入ってきて物を持ち出されたことには恐怖を感じた。

部屋のドアを開けると廊下を挟んだ向かいにラウンジがあって、多くの学生が勉強していた。数人がこちらを見てコソコソと話しているのが見える。湯船を盗まれたことがもう話題になっているようだった。そのラウンジは少し薄暗かったが、きちんとした机と椅子があって居心地がよさそうだった。あ、これは便利だな、これからはここでレポートを書こうと思った。

それで、 起きた。

 

このおかしな夢は少し前に見て、それからずっとこのことについて書こうとしていたのだが、レポートを書くのに精一杯で、夢のことを書くのは我慢していた。

そういえば研究室でレポートを書きながら仲間と話していた時、私たちが書いているのはゴミのようなレポートなのかレポートのようなゴミなのかという話題になった。レポートのようなゴミだとしたらレポート提出はすなわちゴミ出しである。となると教授のレポートボックスはゴミ捨場なのか!?大変失礼である。

 

 

 

 

数週間前から家の外で蝉が鳴き始めた。そういえば虫は声を発しているわけではなくて羽で音を出してるはずなのに、鳥とかと同じように「鳴く」という。「鳴く」って人間には使わないから、人間以外の動物が身体を使って音を出すことをいうんだろうかね。そもそも「鳴く」は「泣く」と音が同じで漢字が違うだけだから、日本に漢字が入ってくる前には人間が泣くのも虫が鳴くのも同じように捉えられてたんだろうか。

あと、冬と夏、どちらが夜の外の音がうるさいのかという問題。このことについて前も書いた気がするけど書いていないかもしれないからもう一度書く。夏の夜は色んな虫が鳴いていたりして常に音がしている。それに対して冬の夜はシーンとして静まり返っているようなイメージがある。しかし冬は窓を閉め切っているから、外で音がしていても聞こえないだけかもしれない。だから、私は冬の方が静かだとは言い切れない気がするんだけど、冬は虫が鳴かないから窓を開けても静かなのかもしれなくて、まあどちらの方がうるさいか決めたところで何も起こらないから考えるのは意味がないだろう。でも私は意味のないことを考えるのが好きだからやめないぞ。

さて、梅雨が明けたとか蝉が鳴いたとか色々あって、ようやく夏本番という感じがしてきた。気分も盛り上がる。暑いのが苦手な人はテンション下がってるかもしれないから申し訳ないけど、私も冬には寒くてテンション下がるから、お互い様ってことでゆるして。

 

夏は高い位置でポニーテールを揺らしたい。Tシャツを着た人の背中を眺めたい。手のひらをぐっと開いた時に水かきのところが白いのを発見して日焼けに気付いて焦りたい。クーラーを効かせた部屋を暗くしてポップコーンも用意して映画館みたいにしてDVDを観たい。日が暮れて涼しくなってから外を散歩したい。玄関に蚊取り線香を置きたい。まだ涼しい間に起きて朝ごはんを食べたい。手持ち花火はちょっと怖いけど、いいからやりなよーとか言われてビビりながら火をつけて騒ぎたい。あー、夏だ!夏だ!夏休み!

(その前にテストとレポート)

知ってから嫌いと叫べ

前に更新した日から1ヶ月たったとき、お知らせのメールが来た。1ヶ月更新されてませんがいかがですか。こんなお題で書いてみませんか。

違うんだよな、書くお題ならいくらでもあった。書かなかっただけで別に何も考えてないわけじゃないからさ。ただ上手く文章にできなくて、書いては消して書いては消しての繰り返しで、下書きばかりが溜まった。

そうこうしている間にブログを始めて1年が経ったことに気づく。続くか分からないけど「ものはためし」なんて言って書き始めて、おためし期間はもうとっくに過ぎてしまった。そういえば、バイト先で研修期間を過ぎても仕事が覚えられなくて、いつまでも研修バッチが外せない後輩がいたな。彼はそのまま辞めてしまったけれど、私はもう少し粘るぞ、おためし期間を。

言い訳やら宣言やらはこのくらいにして、最近自分に対して思うことを書く。「人は」なんて書き方してるからお説教みたいにうつるだろうか。違いますからね。

 

 

分からないことについて人は嫌悪感を抱くのだと思う。分からないものは怖いから。自分が何かを嫌だと感じるとき、それには理由があるだろうか?もしハッキリした理由なく嫌いだと言っているのなら、それはただ知らないからだけかもしれず、残念なことだと私は思う。

例えば、知らない人と会話するのが苦手な人は多いと思う。私は人と話すのが得意な方だが、それでも少し抵抗がある。その時に、相手との会話にはめんどくささを感じるかもしれないけれど、相手のことを嫌いなわけではない。でもたまに、そのめんどくささから、まるで相手のことを嫌いかのように感じてしまうことがある。ところが本当は、その相手はとても面白い人かもしれない。めちゃくちゃ気が合うかもしれない。

何が言いたいかというと、知らないという理由で何かを嫌がったり、そのことに気付かないでまるでそのものが嫌いかのように感じてしまうことは、ものすごくもったいない。
新しいことをしようとして、なんだか嫌だなと感じたとき、本当に避けるべきかどうかはまずある程度知ってみないと分からないんじゃないか。それこそ「ものはためし」と思って。

とはいえ、やっぱりめんどくさいとも感じる。やだな。辛いな。でもがんばれ私。知ってから嫌いと叫べ。