ものはためし

書く訓練、備忘録

やっと書けた

湯船を盗まれる夢を見た。夢の中で私は2人部屋の寮のようなところに住んでおり、寝ている間にユニットバスの湯船部分だけ盗まれてしまった。びっくりである。そしてそれは私の戸締りの甘さのせいであると、ルームメイトにひどく叱られた。

がらんとしたお風呂場を眺めながら私は考えた。誰が湯船を盗んだのか。ユニットバスなのになぜ湯船だけ持ち出すことができたのか。そもそも湯船なんか盗んでどうするのか。なんて少し面白く思いながらも、自分が寝ている間に人が入ってきて物を持ち出されたことには恐怖を感じた。

部屋のドアを開けると廊下を挟んだ向かいにラウンジがあって、多くの学生が勉強していた。数人がこちらを見てコソコソと話しているのが見える。湯船を盗まれたことがもう話題になっているようだった。そのラウンジは少し薄暗かったが、きちんとした机と椅子があって居心地がよさそうだった。あ、これは便利だな、これからはここでレポートを書こうと思った。

それで、 起きた。

 

このおかしな夢は少し前に見て、それからずっとこのことについて書こうとしていたのだが、レポートを書くのに精一杯で、夢のことを書くのは我慢していた。

そういえば研究室でレポートを書きながら仲間と話していた時、私たちが書いているのはゴミのようなレポートなのかレポートのようなゴミなのかという話題になった。レポートのようなゴミだとしたらレポート提出はすなわちゴミ出しである。となると教授のレポートボックスはゴミ捨場なのか!?大変失礼である。

 

 

 

 

数週間前から家の外で蝉が鳴き始めた。そういえば虫は声を発しているわけではなくて羽で音を出してるはずなのに、鳥とかと同じように「鳴く」という。「鳴く」って人間には使わないから、人間以外の動物が身体を使って音を出すことをいうんだろうかね。そもそも「鳴く」は「泣く」と音が同じで漢字が違うだけだから、日本に漢字が入ってくる前には人間が泣くのも虫が鳴くのも同じように捉えられてたんだろうか。

あと、冬と夏、どちらが夜の外の音がうるさいのかという問題。このことについて前も書いた気がするけど書いていないかもしれないからもう一度書く。夏の夜は色んな虫が鳴いていたりして常に音がしている。それに対して冬の夜はシーンとして静まり返っているようなイメージがある。しかし冬は窓を閉め切っているから、外で音がしていても聞こえないだけかもしれない。だから、私は冬の方が静かだとは言い切れない気がするんだけど、冬は虫が鳴かないから窓を開けても静かなのかもしれなくて、まあどちらの方がうるさいか決めたところで何も起こらないから考えるのは意味がないだろう。でも私は意味のないことを考えるのが好きだからやめないぞ。

さて、梅雨が明けたとか蝉が鳴いたとか色々あって、ようやく夏本番という感じがしてきた。気分も盛り上がる。暑いのが苦手な人はテンション下がってるかもしれないから申し訳ないけど、私も冬には寒くてテンション下がるから、お互い様ってことでゆるして。

 

夏は高い位置でポニーテールを揺らしたい。Tシャツを着た人の背中を眺めたい。手のひらをぐっと開いた時に水かきのところが白いのを発見して日焼けに気付いて焦りたい。クーラーを効かせた部屋を暗くしてポップコーンも用意して映画館みたいにしてDVDを観たい。日が暮れて涼しくなってから外を散歩したい。玄関に蚊取り線香を置きたい。まだ涼しい間に起きて朝ごはんを食べたい。手持ち花火はちょっと怖いけど、いいからやりなよーとか言われてビビりながら火をつけて騒ぎたい。あー、夏だ!夏だ!夏休み!

(その前にテストとレポート)

知ってから嫌いと叫べ

前に更新した日から1ヶ月たったとき、お知らせのメールが来た。1ヶ月更新されてませんがいかがですか。こんなお題で書いてみませんか。

違うんだよな、書くお題ならいくらでもあった。書かなかっただけで別に何も考えてないわけじゃないからさ。ただ上手く文章にできなくて、書いては消して書いては消しての繰り返しで、下書きばかりが溜まった。

そうこうしている間にブログを始めて1年が経ったことに気づく。続くか分からないけど「ものはためし」なんて言って書き始めて、おためし期間はもうとっくに過ぎてしまった。そういえば、バイト先で研修期間を過ぎても仕事が覚えられなくて、いつまでも研修バッチが外せない後輩がいたな。彼はそのまま辞めてしまったけれど、私はもう少し粘るぞ、おためし期間を。

言い訳やら宣言やらはこのくらいにして、最近自分に対して思うことを書く。「人は」なんて書き方してるからお説教みたいにうつるだろうか。違いますからね。

 

 

分からないことについて人は嫌悪感を抱くのだと思う。分からないものは怖いから。自分が何かを嫌だと感じるとき、それには理由があるだろうか?もしハッキリした理由なく嫌いだと言っているのなら、それはただ知らないからだけかもしれず、残念なことだと私は思う。

例えば、知らない人と会話するのが苦手な人は多いと思う。私は人と話すのが得意な方だが、それでも少し抵抗がある。その時に、相手との会話にはめんどくささを感じるかもしれないけれど、相手のことを嫌いなわけではない。でもたまに、そのめんどくささから、まるで相手のことを嫌いかのように感じてしまうことがある。ところが本当は、その相手はとても面白い人かもしれない。めちゃくちゃ気が合うかもしれない。

何が言いたいかというと、知らないという理由で何かを嫌がったり、そのことに気付かないでまるでそのものが嫌いかのように感じてしまうことは、ものすごくもったいない。
新しいことをしようとして、なんだか嫌だなと感じたとき、本当に避けるべきかどうかはまずある程度知ってみないと分からないんじゃないか。それこそ「ものはためし」と思って。

とはいえ、やっぱりめんどくさいとも感じる。やだな。辛いな。でもがんばれ私。知ってから嫌いと叫べ。

最後のひとつ

クッキーをむしゃむしゃ食べていて、気づいたら全部なくなっていた。あれ、もうないのかなと思って袋を覗いたら空っぽで、空っぽなことは別にいいんだけど、最後のひとつを最後のひとつだと認識して食べられなかったことが悔しかった。

私は兄弟がいるので、小さい頃からお菓子なんかを分け合って食べることが多かった。その中でできた、今思うとおもしろいルールがある。

「誰かが食べているお菓子を分けてもらうとき、分けてと言われた人は嫌がらずに分けてあげなければならないが、それが最後のひとつ/ひとくちの場合は断ってもいい」というものだ。ただ分けてもらうだけではなく、アイスをひとくちずつ交換する場合なども、お互い最後のひとくちになる前に交換を提案しなければならず、うっかりしていて相手がもう食べ終わりそうなところを発見したら、きっぱり諦める。

多分私達にとっては、これが最後 という気持ちが大切だったのだと思う。その覚悟なしに突然食べられなくなるとかなしい、みたいな単純な思考なのだと思うけど、その認識が兄弟全員に共通していて暗黙の了解になっていたのがおもしろいと思う。

これはただの兄弟ルールなので、他の人がどう思ってるのかは知らない。兄弟以外の人に何か分けてと言われたとき、私はそれが最後のひとつだというだけの理由で断ったりはしないけれど、心の中でちょっとだけ「あら残念」くらいは思うんだけどどうなんでしょう。

 

これが最後だ と認識できることって、あまり多くないかもしれない。満開だった桜は気づかない内に葉桜になっているし、高校を卒業して以来会っていない友達はもしかしたらもう一生会わないかもしれないし、次帰省するまで家族が元気か分からないし、なんなら私もいつまで生きるか分からないのでさっき食べたクッキーが私の最後の食事になるかもしれない。クッキーは見たら残量が分かるけど、そんな風に分かる事の方が絶対に少ない!と突然怖くなった。でもそんなもんか、そんなもんだぞ。だって、嫌なことも予測できずに突然起こるけど、いいことだって突然起こったりする。例えば誰か新しい人とばったり出会うとき、それは「その人と会っていない状態」の突然の終わりでもある。そういうこと。

もう何が何だか。気づかない内に何かが始まったり終わったりしますよ と書かれた人生の利用規約みたいなやつの同意ボタンをうっかり押してこの世に出て来でもしたのかしら。読めないくらいめちゃめちゃちっさい字で一瞬だけ表示されてて見逃したんじゃないの。

まーいっか。 

暮らす

先日ある人が「暮らすのが好き」と言っているのを聞いて、面白かったのでそのことについて考えていた。その人は料理や部屋づくりが好きで、そういう仕事に就きたいともいう。

少し前、病気で寝込んでいる時にずっと考えていたけれど、「生きる」と「暮らす」は全然違うね。「生きる」は病人でもできるけど、布団や狭い部屋の中で日がな一日過ごし、食べたいものも食べられず行きたい所にも行けず着たい服も着られぬようでは暮らしていると言えないと感じた。なんというか、「暮らす」というのは生きている実感だろうか、当たり前の積み重ねだろうか。

今、少し元気になった私は、丁寧に暮らしている。よく眠り、美味しいご飯を食べる。無理のない程度で部屋を片付けたり、植物の世話をしたり、洗濯をしたり、近くのスーパーに買い物に行ったり、得意じゃないけど料理にも挑戦したりして。

本当だったらサークルやアルバイト、他にも色々としたいことやしなければならないことがあるけれど、今はその体力がないから、ただ暮らすことに集中している。

もっと元気になったらもちろん、絶対に、やりたいことを全部やってやる。そして、今の暮らしの丁寧さは元気になればなるほど忙しくなって失われていくんだろう。それでいい。

だけどさ、この平和さや暮らしの喜びは、忘れないでいたいな、なんて思うよ。

‪近所の池の周りを散歩していたら、う がいた。う だけがいた。私は思わず「うだ!」と言った。そして、う が水に潜っては魚を捕まえるのを10分くらい眺めていた。‬

‪昔、その池にはよく鷺がいた。青鷺という名前だけど本当は灰色の鷺と、白鷺という名前で本当に真っ白の鷺と、二種類。鷺は人間の叫び声に似た、ぎゃーっという鳴き方をする。頭を前後に揺らしながら慎重に歩く。私は幼い頃鷺の歩き方を上手に真似て家族を笑わせた。‬
‪そのうちなぜか青鷺はいなくなり白鷺だけになった。しらない人が白鷺を見て、鶴と間違えることがあった。鶴がこんなただの池にいるわけがないと、大人たちは笑った。私はたしかに鶴が綺麗で珍しいのは知っていたが、白鷺も綺麗だと思っていたので、なぜ鶴と鷺の格がそこまで違っているのかいつも疑問に感じていた。しかしそんな白鷺もいつの間にか姿を消した。‬
‪前見た時には鴨がいた。そして今、鴨はおらず、ただ鵜が一羽、ぷかぷかと水に潜っていた。鵜を見たことはあるからすぐに鵜と分かったけれど、その池で見るのは初めてだった。‬

鳥がいなくなったり新しくやってきたりするのがいいことか悪いことか、私には分からない。渡り鳥は季節によって移動するからいたりいなかったりするのは自然だし、他の生態系の変化のせいかもしれない。人だって、色々理由があって行ったり来たりするんだから鳥も色々あるんだろう。

 

最初、鵜のことを平仮名で「う」と書いたけれど、平仮名でただ一文字というのは本当に間が抜けて見えるから面白い。私は鵜が泳いでいるのを見て、「う が泳いでいる!」と思い、後で、「う が泳いでいたな」と思い、絵にしてみた。(わりと真面目に。)

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 絵を書き終わった時に日付を入れようと思って、勘で書いてからカレンダーで確認したら、2日も前の日付だった。毎日毎日、早く時間が過ぎろと思いながら暮らしているのに、いざ時が経っているのを実感したらすこし寂しいものだから不思議だ。では一体どうしたらいいのだろ鵜。

6センチとアイスと瞬きのリズム

6センチ。急に、直径6センチとはどのくらいの大きさだろうかと気になった。たまたま近くにものさしがあったので確認しようとしたら、目盛りが全部禿げて見えなかった。なんだこれは、もはやものさしとは言えなくないか。私の知る限り、ものさしには2つの用途があって、1つは長さを測ること、もう1つは直線を引くことだ。そのものさしは1つ目の用途には使えないが2つ目はいけるので、まだものさしと言えるかもしれない。ただ、直線を引くだけなら別にものさしを使わずとも、その辺の物を使ってもできそうだった。例えばハンガーとか。私はハンガーで直線を引いたことはないが、その気になれば不可能ではないと思う。こういうことを言うと、直線を引くのを本職にしている人に怒られるのではないかと思ってびくびくする。直線を舐めるな、ものさしを舐めるな、と。

6センチの話に戻る。私のお腹の中には今、6センチくらいの爆弾が、埋まっているらしい。そのことを考えた。その爆弾の存在が私全体を、少しずつ腐らせていると思った。手脚だけでなく、頭や心も。もういっそ、爆発してしまえばいいとさえ思うのだが、おそらく爆発してもなお全ては終わらず助かってしまい、その後は今よりも辛い思いをしなければならなさそうだからそれは困る。

隣で姉がアイスを食べ始めた。私は元々お腹が弱く、お腹を冷やすことは諸悪の根源だと思っているので、寒い季節になってからずっと禁アイスを心がけていた。しかしどうにも我慢ができず、姉が食べているもちふわ抹茶最中ナントカを、一口もらってしまった。いとも簡単に、禁アイスの誓いは破れてしまったのである。

そもそも、と私は考えた。アイスというのは凍っているからアイスなのであって、溶ければただの甘い液体ではないか。口の中で完全に溶けるのを待ってから飲み込めば、それはアイスを食べたことになるのか?もちろん、成分的には間違いなくアイスなので、アイスを食べたことにはなるかもしれないが、私の場合アイスが冷たくてお腹に悪いからという理由で禁止しているだけである。冷たくないアイスはそれほどお腹に悪くない。ならば、溶けたアイスをお腹に入れた罪は軽いではないか!!!急に嬉しくなって、私はにやにやしそうなのを必死で抑えた。

そんなことは全く知らないはずの姉が2メートルほど先で残りのアイスを食べ終えたところだったが、突然吹き出して笑い始めた。何事かと見ると、携帯をいじっている風でもなくただ私を見て笑うので、何か私がおかしなことでもしたようだった。私は「食アイス罪軽減万歳」の件がバレでもしたのかと一瞬思ったが、そうではないことはすぐに分かった。姉が言ったのだ。

「あんたの瞬きの音がきこえる」