ものはためし

書く訓練、備忘録

お風呂

お風呂に入るのが好きだ。特に、人と一緒にお風呂に入るのが好きだ。と言ってもそんなに他人とお風呂に入る機会はない。だいたい一緒に入ってくれるのは、姉である。

 実家に住んでいたころは、毎日お風呂に姉を誘った。姉から一緒に入ろうと言ってくることはほとんどない。おそらく姉は私ほどお風呂が好きでない。必要に迫られるまでできるだけ入らずに、部屋でごろごろしているのを好むようだ。そして、私が入るとき必ず誘うのだが、結構な確率で渋る。そして、後から行くから先に入っといて、と言う。そして私は1人でお風呂に入るけれど、そういうときだいたい姉は来ない。関西人の「行けたら行く」はほとんど「行かない」という意味だというけれど、姉の「後から行くよ」はそれと一緒だと思う。

まぁ、そんなのは置いといて、運良く姉の機嫌がよく、一緒にお風呂に入ってくれるとき、私はわくわくする。なぜだろう。分からないけれど、楽しい。

姉は暇さえあれば携帯をつついている。私が話しかけると聞いてくれるし返事もするが、私はどうもそれが気に入らない。お風呂にいるとき姉は携帯をつついていないので、私の話をしっかり聞いてくれるし自分の話もするので、私はそれが嬉しいのかもしれない。

結局のところ、お風呂が好きなんだか姉が好きなんだか分からないな。でも私は銭湯も好きで、銭湯に友達がついて来てくれるときいつも以上に嬉しくなる。だからやっぱり姉が特別好きとかではなく、人とお風呂に入るのが好きなんだということにしたい。

 これだけ書いた後でいうのもなんだが、1人でお風呂に入るのも悪くない。考え事が捗るし、あと、何と言っても結露した壁が好きである。お風呂は、冬の朝の窓ガラスと違って、常に蒸気に晒されているので、絵や字を書いてもしばらくするとまた結露する。だから、書いては消して書いては消してを繰り返しできて、楽しい。考え事をしながらそれをどんどん指で書く。細かく、板書みたいに。あと実家のお風呂の壁はタイルで、それをノートのマス目みたいにして大きく丁寧に字を書くのも好きでいつもやっていた。

 今住んでいる下宿の部屋はお風呂とトイレが一緒になっているので、お湯をためてゆっくり浸かるということができない。だから人と一緒には入れないし、壁に字も書けないし、お風呂のいいところがほとんどない。これには理由があって、お風呂とトイレが別々になっている物件はだいたい家賃が5千円くらい高かったのである。だからそれをケチって今の部屋にしたが、月々5千円を超える価値が、広いお風呂にはある気がする。お風呂以外のいろんな部分は今の部屋で十分なので引っ越すほどではないが、次引っ越すときはお風呂をしっかり見て物件を決めたい。

ちょっと病気だけどいいこともある

1月に入ってからずっと体調が悪い。

ずっと寝込んでいると布団が不快な感じになるので、タイミングを見計らって外に干す。その間はこたつに潜り込んで、じっとしている。

仰向けになって、白い天井についている白い照明器具をぼーっと眺めていたら、気づくと照明器具がなくなっていた。焦点の問題か、ぼんやりと輪郭が消えて天井と同化して見えた。(どうかしてるぜ。)それが面白くて私はひとりできゃーと言って、瞬きをするとまた照明器具が天井についているのがはっきり見えた。もう一度消してみようとじっと天井を睨んだが、意識するとできないのだった。

ここのところ、薬局にかっこいい薬剤師さんが いるのが癒しだ。なんというか、いわゆるイケメンという感じではないのだが、決してチャラくはなく清潔感があって人畜無害そうな、優しい声の持ち主である。あんまりじろじろ見るとよくないのでできるだけ見ない。たまたまその薬剤師さんから薬を受け取れたときはもうめちゃくちゃに元気が出て、もうそれを飲まなくても治るんじゃないかとか思ってくる。我ながら気持ち悪い。けれど、自宅で苦しむか病院にフラフラ出かけるかの日々が続くと、そういう喜びを見つけないとやっていけなくなる。待合室の雑誌で読んだ旅行特集がいい感じだったから旅行したくなったり、MRIの間ヘッドホンをつけてミスチルを流してもらえたこととか、検査の帰りに買い物したりとか、女医さんが美人とか、大好きな友達がごはん作りに来てくれたとか、街のバリアフリーを感じるとか、バイト先に理解があってしばらくお休みをもらえたとか、教授にメールしたらレポートの期限を猶予してもらえたとか、どの内臓がどこにあるか実感できたり、身体の仕組みが分かったり、お正月太りの分くらいは体重が落ちたり、ずっと寝込んでるとメイクしないのでお肌が生き返ったり、あと、かわいいお薬手帳をゲットすることを夢見たり。

頭の中は苦痛が大半を占めるけど、いいことだってたくさんある。最近は苦痛に負けて、ネットでもネガティヴなことばかり言っている気がするから、こうしてちょっとは釣り合いをとりたかった。心配しないでください、と言ってもする人はすると思うけど、私はこうして毎日楽しいことを探して、できるだけ楽に闘っていくからよろしく。

わがまま気のまま

チェーンのカフェでフレンチトーストを食べていた。私は飲み物は食後に飲むタイプなので、紅茶は冷める一方だった。これは小さい頃から少食で、先に飲み物を飲むと食べ物がお腹に入らなくなるが、食べ物を先にしてお腹がいっぱいになっても飲み物なら入るから、というおかしな理由でついた癖だった。

紅茶はストレートが好きで、久々に帰省して家族でお茶をしたとき何も聞かずに誰かが私の紅茶に牛乳を入れたので少しムカッとしたことを思い出した。それほどムカッとしたわけではないしミルクティーも嫌いではないのでその時はそのまま美味しくいただいた。後でふと思い出して母と姉にその話をしたら、牛乳を入れたのは自分だと母が言ったので、なんだか申し訳なかった。私としては、カフェなどに行くと必ず飲み方を聞かれるし、自分で作ればもちろん思い通りになるので、何も聞かれず紅茶に牛乳を入れられるという出来事が久々に起こりびっくりした、ということをただ言いたかったのだが、多分そのニュアンスは伝わっておらず結果的に母を責めたようになったのではないかと思って後悔した。

目の前のカップルの男の方が、ジャケットを脱いで椅子にかけていたけれど、その内側からチラチラと、クリーニングのタグが覗いていた。かなりボロボロだった。ボロボロになるまで気付かずに着ているのだった。それか、そういうデザインかもしれない。

そういえば、昨日読み終わった本はクリーニング屋で働く女性が主人公だった。軽い恋愛小説が読みたいと思って本屋で手にしたが、読んでみると本当に軽い恋愛小説だったので、目的通りなのになんだかちょっと残念だった。へそ曲がり。後で知ったがその本は脚本家が書いたドラマの原作のようなもので、だから描写が映像的だった。あと目線が固定されないのも慣れていなくて気持ち悪かった。

フレンチトーストやワッフルのようなバターのきいた食べ物は大好きなのだが、途中で気持ち悪くなって食べられなくなる。それを分かっているのにメニューを見ると食べたくなって注文してしまう。半分くらい、一緒にいる人に食べてもらうことが多いけれど、途中で食べられなくなって食べてもらうというのはめちゃくちゃマナー的に悪いのでやめたい。具体的には、そういう食べ物を注文しないか、最初から半分に分けて食べてもらうかするべきだと思う。だけどやっぱり食べられるだけ食べたいから、大食いで、そういうのに寛容な人と仲良くしていきたい所存。

まぁそれは置いといて、今日はひとりだった。予測できた事態ではあるが、三分の一残ったフレンチトーストを見つめて私はうーんと唸った。休憩しよう。

気づけばクリーニングタグカップルは退席していて、目の前にはまた別のカップルが居た。私はお店で周りが気になるのでいつもできるだけ入り口や人がたくさんいる方に背を向けて座るようにしている。客も気になるが一番気になるのは店員の動きである。自分が飲食店でアルバイトをしているからだと思うが、忙しそうだなとか、この人何時から働いてるんだろうとかそういうしょうもないことを考えてしまう。考えたらだめなわけではないが、私はそういうことを考えるためにお店に入るわけではないから極力気にしないでいたい。気になるというのはどうにもならないが、こうやって座る位置を変えるだけで視界に入らなくなり、気にしないで済むなら、色々工夫するのも無駄じゃないと思う。

そうこうするうちに残りのフレンチトーストを食べ終えた。食べ終えてからクリームが添えられていたことに気付いたが、もうドロドロに溶けていた。人のクリーニングのタグには気付くのに自分のお皿のクリームには気付かない、私の目と頭はおかしいと思った。

IQが下がっていたときの日記

どんな気持ちでここに来ても受け入れてくれる中庭。


今朝は早起きした。午後までかかる用事があったのでお弁当を作って出かけたけれど、ギリギリでバスに行かれてしまったので一旦家に帰った。洗濯物を干して、散らかっていた部屋を片付けた。乗ろうとした1時間後のバスにも行かれてしまったのでもうその用事は諦めた。床に座ってお弁当を食べた後、腕が痛くなるまでキーボードを弾いた。15時から授業だった。身体が重くなってきて、頭もガンガンしだしたので学校に行くかどうか迷い始めた。トイレに座って少し泣いた。しくしく、とかわんわんじゃなくて、下を向いてじっとしていたら涙がぽたっと落ちるタイプの。でも、出かけなければならない時間までには立ち上がり靴を履くことができた。私は歩いて学校に来た。
教室に入ると、先に来ていた同級生たちが軽くざわめいた。時間ギリギリだったので、もう私は来ないと思っていたらしい。
授業の前半は眠たかった。発表者の話も、教授の話も全く頭に入って来ず、ただ家に帰ったらノートに書きたい言葉のことを考えていた。あと、好きな人と話したかった。ばったり会えたりしないかなと思った。その可能性はとても低いので、思い切って電話でもかけてみようかなと思った。授業の後半は面白かった。"同じだ"という形容動詞が変わった活用をするということを知った。驚いたことに授業は30分も早く終わったから、嬉しくなっておやつを買いに行った。特にお腹は空いていなかったけれど、無性にビスケットが食べたかった。ビスケットを買った。
ビニール袋をぶら下げて中庭に向かっていると、好きな人が歩いてくるのが見えた。目があった。私に向かって歩いてくる。私は、早く近づきすぎるとその分早く離れなければならないような気がして、できるだけゆっくり歩いて近づいて行った。その歩き方を見た彼は開口一番、疲れてるね、と言った。ゆっくり歩いたのはそのせいではないけれど、確かに私は疲れていた。多分、疲れていたからこそ彼に会いたかったのだ。彼も疲れているようだった。疲れているからテンションが異様に高いのだと言って、手を広げてぴょこぴょこ跳ねてみせた。
私は、次に彼に会ったら好きと言おうと思っていたのに、そんなことはすぐに忘れた。というか、覚えていたかもしれないが無理だった。今朝起きた時間の話とか、野菜の話とか、授業のこととか、当たり障りのない話を延々とまくし立ててしまった。言いたいことも言わずに。もっとも、そういう当たり障りない話をいつもしたいし、それを延々とできるところが好きなんだけれども、今日はもっと大切なことを言わなければならなかった。
いつも元気でいてほしいけれど、彼が疲れて誰かと話したくなるのなら、いつも疲れていてほしいとさえ思う。けれどそれは彼の幸せを無視した私の幸せである。彼の悲しみや苦しみを全部食べてあげられたらいいのに、とも思う。だけどそんなこと私にできるはずがなかった。私だけでなく他の誰にも、彼を助けることはできないと分かっていた。だから私は誰かと争うこともなく、静かに、遠くから彼を見ていた。しかしその安心もおかしな話であった。
次の授業に行かなければ、と彼が言った。がんばって、おつかれさま、またね。

私は中庭に来た。ベンチに座って、ノートに少し、言葉を書いた。ビスケットを食べた。木の写真を撮った。時折葉っぱが頭上から降ってきた。気付いたら暗くなっていた。ほとんど葉を落とした木の枝の隙間から星が見えた。私は片目をつぶって顔を動かし、星がぴったり枝に重なる位置で止まって星が見えないようにしてみた。顔を動かさなくても、つぶる目を変えると星がチカチカ光った。指先が冷えてきた。待っていても彼は戻って来ない。私は立ち上がった。

『よる』

携帯のボイスメモを整理していたら、面白いものを見つけた。それは、夜中に私が1人でぶつぶつ独り言を言う音源である。眠れない夜には色々考えて、ついついそれを書き出したくなるけれど、明かりをつけたら余計に眠れなくなりそうで、よくない。かといってせっかく考えていることを忘れたくもない。だから暗くして目をつぶって、考え事をそのまま喋って録音すればいいではないか!とその時の私は思ったらしい。そして録音していたのを次の朝には忘れていたので、それから3ヶ月くらい経った今見つけ出して書き起こすところとなった。音声を書き起こしたことがある人は分かると思うが、普通人が話すスピードはかなり早いので、止めたり戻したりしながらでないと到底書き起こせない。それがこの『よる』は驚くほどゆっくり、しかも欠伸や沈黙混じりで話すので、何度も止めたりいちいち戻りながらでなくても書き起こせた。以下、ほとんどそのまま。

「眠れないので、眠れないけど、(欠伸)すごく眠たいので、眠たくなったらすぐ眠れるようにして、思ってることを後でメモできるようにしようと思います。(欠伸)(突然英語)At first,I don't like to hear the sound that my friend close door and ummmm(英語分からなくなる)鍵を、鍵を、えーと、閉める音。私がその人の家を出た瞬間鍵を閉める音が聞こえたらね、追い出されるみたいな気持ちになってたんですよ。でも本当は、そんなに気にしてないかもしれない。私は。むしろ、自分が人を送り出す時に、もしかして相手がそれを気にしているんじゃないかということを、私が気にします。さて。最近、あのー、あれだ、(かなり込み入った話をし始めたため中略) あれ、私ちょっと、カタコトになっちゃってる。ハナ(留学生の友達)と喋ったり、ハナの動画見てたら、ハナはかなり日本語上手ですけど、ちょっと言い回しとか、ネイティヴと違うところとかあって、そのマネをしちゃってるというか、うつってきたというか。これも私の影響されやすさを、表してるなぁと。あー今眠気が。きたーぁ。眠気を、捕まえるのは、大変です。(欠伸)降ってきたときに、捕まえなければ、どこかへ行ってしまう。それは、言葉と似てる。タイミングよく掴まないと、どこかに行っちゃう。でも、全然、期待してない、予測してないときに、また現れる。(欠伸)あー、すごく眠いのに、なんで私は、ぶつぶつ独り言を言ってるんだろう!?(欠伸)眠い…。(大欠伸)でも、すごく眠くて、布団に入っていられるのはハッピーなことかもしれない。(欠伸)とてもハッピー(ごにょごにょ)声が、もしかしたらほとんど入ってないかもしれない。ちょっと一旦止めてみます。」

お茶

やかんでお茶を沸かしていたら、目を離したすきに吹きこぼれた。IHなので電源を切ると簡単に拭き取ることができるので大したことはないのだが、かなり派手に吹きこぼれていたので思わず「何てことだ」と3回言った。2回目までは自然に出てきたが、2回目を言っている間に、これは3回言った方がキリがいいな、と思ったので続けてもう1度言った。3回目を言いながら、ずいぶん滑稽なことをしているな、と思った。

麦茶パックを入れたままグツグツしすぎたので、お茶は真っ黒な液体になった。白いカップに入れるとコーヒーにしか見えなくて思わず牛乳を入れたくなった。それでも麦茶である。

カップを上から覗き込んで自分の顔を写してみた。悪魔みたいだった。池に映る自分に向かって吠えて、咥えていた肉を落とした犬の話を思い出した。

犬といえば、今日いつもと違う道を歩いていたら、いきなり犬に吠えられた。犬の存在に気づかず民家の庭すれすれをのこのこ歩いていたので無防備だったし、フェンス越しに犬との距離は50センチくらいであった。驚いた私は反復横跳びさながらの俊敏さで跳びのきながら犬に向かって叫び返してしまい、その姿を誰かに見られていないかキョロキョロした。この出来事において、犬は悪くないが私も悪くない。やり場のない怒りのような悲しみのような感情を持て余しながら先を急いだ。しかしいつも通らないその道を通っていつもより時間がかかったので結局遠回りだったと分かった。近道的には意味がなかったが、その道を通る意味がないと分かったので一連の行為には意味があった。ことにする。

夜空

帰省した。駅からバスに乗る時間しか伝えていなかったのでいつ着くか分からなかったはずなのに、バス停まで母が迎えにきてくれていた。一緒に家まで歩いた。
今日は星がきれいだよと教えてくれたが、それはおそらく母が星好きというよりも、私が星好きなのを知っているからであった。のではないかと思う。そういえば父は星好きで、私に星の本を見せてくれたり一緒に星を見に出たりしていた。私は目がいいけれど父は目が悪くて眼鏡をかけていた。だからあの頃一緒に見ていた星のうち私にしか見えていなかったのもあるんじゃないかと今更ながら気づいて驚く。でも何だってそうだろう。視力に限らず視野とか背の高さとか興味とか、人が違えば全部違うから見えてるものも全然違うはずだった。指をさして同じ方向を見ていても実際に見えている世界は同じではないのだ。

母と一緒に空を見上げた。星はたくさん見えたが子供の頃に覚えたはずの星座はすっかり忘れて、有名ないくつかしか見つけられなかった。母は、線がないとどれが星座か分からんよね、と言った。線というのは星座早見表なんかに書いてある星と星を繋ぐ線のことである。それは誰もが一度は思うことかもしれない。そういえば昔母が満月を見て、うさぎが一匹しか見えん、と不満そうに言っていたことを思い出した。月のうさぎは元から一匹なのに、一体何匹見ようとしたのかと思って私は笑った。

満月といえば何年か前に面白いものを見た。夜空があまりに綺麗なので、下校中の自転車を降りて空を見上げていた時の話である。飛行機のライトが点々と空を突っ切っていた。ぼんやり目で追っていると、ちょうどそれは月に差し掛かった。そして満月のまんまるい光と重なったとき、それまでライトしか見えていなかった飛行機のシルエットが一瞬、きれいに浮かび上がったのである。満月と飛行機が重なるのが珍しいことなのかは分からないが、ちょうど日のその時間、その場所で見上げていなければきっと見えなかっただろうから、それはものすごい偶然に思えた。もう二度とその様子は見られないだろうと思った。それは大学受験を控えた冬であった。私はなぜかその偶然に出会えた幸運から、これは大学に受かるな、と思った。

それと同じ広場で今、夜空を見上げていた。隣では母が、あんたが大学に受かったのは飛行機を見たからじゃなくてたくさん勉強したからだよ、というようなことを言っていて私は最もだと思ったけれど、もし飛行機を見ていなかったら受かっていなかったかもしれないとも思った。