ものはためし

書く訓練、備忘録

誰のせいでもないマイナス

苦しい日々が続いている。何というか、身体的ダメージが精神にも響いてくるのを感じる。それで悲観的になるのは私の問題だけれど、そのせいで人にまで嫌な思いをさせるのが怖い。

例えば、いつもなら楽しめるはずのことが、お腹が痛いせいで楽しくないとか、せっかくおいしいご飯を作ってもらったのに食欲がなくて食べられないとか、よく分からない恐怖で家族に当たり散らしてしまうとか、おもしろい文章が書きたいのに苦痛を吐き出すことしかできないとか、そういうこと。そういうとき私は「これは本来の私の姿ではなく、病気のせいで変わってしまっただけだ」と考えて悲しみや罪悪感を軽減しようとする。「私は今、全ての感覚や思考が、痛みや恐怖に支配されている。何をしても、純粋な私の意思以外の要素が働いているのだ。今、見えている私の様子だけで私を判断しないで欲しい。それは、本当の私ではないから」なんて、思う。

けれど、そもそも本来の私とは、どんなものなのか。そんなに守りたい人格だったのか、分からない。分からない。

何か自分にとって大きな出来事があったとき、それが起こる前と後ではまったく違う自分であることは分かるのだが、具体的に何が変わったかと言われると分からないものだ。私は病気のせいで自分の人格が歪むことを恐れるが、病気がもたらす変化は悪いものだけではないと思う。忍耐力や、考え方にいい影響があるのかもしれない。そんな全てを切り捨てるわけにはいかない。そもそも、私が望もうが望ままいが、病気が治るわけではないのだ。

私は不幸自慢がしたいわけではない。そんなのは、かっこ悪いし自分をさらに不幸にすることだと思っている。私が病気なのは私のせいではない。でも、家族や友達のせいでもない。だから周りの人に当たり散らすのは絶対に違うのは、分かる。この、誰のせいでもないマイナスは、誰のせいでもないのに、誰かが我慢しなければならない。本来ならそれは私である。しかし一人で全部背負うのは長く続かないし、現にそれがもう無理になったから親を頼って実家に帰っているのである。できる限り、家族や友達に頼ること。でも、頼りすぎないこと。本来私が背負うべき荷物を、周りの人が優しいから一緒に持ってくれてるだけなんだという意識を持って、いつも感謝を忘れないで。難しいけど、そうするしかない。