ものはためし

書く訓練、備忘録

夢五夜

第一夜

こんな夢を見た。

インターホンが連打され、玄関のドアが激しく叩かれた。わたしはベッドに横になって寝ていて、起き上がろうにも体が金縛りのように動かず、訪問者を確かめることができない。ふと、玄関の鍵をしっかり閉めたか不安になる。鍵は閉めた気がするがチェーンもきちんとかけたか?多分かけた、と考える間もドアはガタガタと揺さぶられていて、何を言っているかは聞き取れないが怒号も飛んでくる。ふっとドアが見えた。ドアは、なぜかこんにゃくのように柔らかく、訪問者(おそらく知らないおじさん)がドアをむにょんとしならせて、隙間から侵入しようとしてきた。恐怖のあまり、飛び起きる。

 

第二夜

こんな夢を見た。

ベランダに知らないおじさんが立っていた。わたしは布団に寝ていて、ベランダのおじさんの気配に気づくが、身体が動かなくてそちらを向けない。知らないおじさんがそこにいるのは分かるが、その姿が見えないという恐怖に襲われる。知らないおじさんが言った。「ハッハー、だっさいパジャマだな、そんなの着てて恥ずかしくないのか?」

目覚めた後この言葉を思い出してわたしは大変腹を立てたのだが、(ひとりで寝ていたからだっさいパジャマでも恥ずかしくないのに、勝手に見に来たのはおじさんの方ではないか、うるさいのじゃ) まあその時は恐怖に駆られていたので怒りは湧かなかった。わたしはカチカチに固まった身体をなんとか動かして起き上がり、ベランダの窓に鍵がしっかりかかっていることを確認した。そして、百十番通報しようとスマホを手繰り寄せた。しかし、あのいたって簡単な110という数字がどういうわけか全く押せない。それどころかスマホのロックすら解除できずにもたもたしている。そうこうするうちに、おじさんは窓を破ろうとしているかのように見えた。ここらへんでそろそろ、この身体の動かなさと通報の出来なさは、ちょっと異常なんじゃないかと思った。そう考えると、このパターンは夢でよくあるやつだと気づいた。それでなんとか、夢を振り切って、夢から覚めた。

 

第三夜

こんな夢を見た。

ぶんぶんとうるさいので窓を開けて外を見た。すると何やらドローンのようなものが二機こちらに向かってものすごい勢いで飛んで来るのが見えた。突入される!慌てて窓を閉めたのだが、そのわずかな時間にドローンが何かをこちらに放り込んで来た。鶏卵であった。

すかさずキャッチしたが勢いがよかったので少しヒビが入っていた。するとどこからともなく物知りな人が現れて、その卵の中身に触れるとウイルスに感染するぞと言った。しかし時すでにお寿司。キャッチしたときのヒビから白身が流れ出てわたしの掌に広がってしまった。わたしはウイルスに感染したので、周りの人に移さないように隔離された。気を使ってわざわざ自分から隔離されたのに、不用意にわたしに近づいて来る人がいたので苛ついた。

 

第四夜

友人に、怖い夢ばかり見る話をした。

だいたい知らない人が家に侵入してくるストーリーであることから、その友人はわたしが心理的に人の接近を拒んでいるのではないか、という分析をしてきてそれはある程度納得がいった。あと夢日記をつけていたらそのうち現実と夢の区別がつかなくなるぞと脅された。しかし記録は辞められないのである。

 

第五夜

こんな夢を見た。

とうとう強いおじさんと闘うときが来た。わたしはがんばっておじさんの腕を折って逃げた。

ものすごく怖かったので起きてすぐ家族にその話をした。しかしそれも夢であった。家族とは一緒に住んでいない。起きてから家族に話したことも夢だと気づいたわたしは友人に、夢の話をする夢を見たのだと説明した。しかしそれも夢であった。

目が覚めるとその友人が寝ていた。そうだ、友人が泊まりにきているのだった。友人も目を覚ました。どうやらわたしと話す夢を見たという。内容はよく覚えていないようだった。

ひょっとするとわたしたちは本当に夢の話をしたのかもしれなかった。今となってはもう、お互いがお互いの夢をたまたま見ていただけなのか、本当に寝ぼけたまま会話していたのかを確かめる術がないのだった。

こんな何重にもなった夢を見たのは初めてだった。最初の怖い夢の怖さが薄まってもう遠いものだという感覚があった。そして今も自分は夢を見ているのではないかと思いそちらの方が怖くなる。ほっぺをつねると痛かったのでわたしはおそらく起きている。

 

怖い夢を見て起きるとその日は一日中調子が悪い。なんだかすっきりしないのである。そんなだからもう夢なんてなければよいのにと思う。夢システム、やめませんか?

友人は、自分が怖い夢を見ると動揺して報告してくることがあるくせにわたしの夢システム廃止案には賛同してくれなかった。いい夢は見たいらしい。いいことがあればついでに悪いことがあってもいいのか。悪いことがなければその代わりいいこともなくていいのか。これについてもまとまったらまた書く。

わかりにくい

ここのところ生活のバランスが悪い。何かをしすぎたと思ったらまた別の何かをしなさすぎている。今のところわたしにはまだ理性があるので、この状態をまずいと思えるわけです。けれども心のどこかでは、バランス悪く生きたい、つまり何かひとつだけにすっかり依存してしまって何にも考えずに消えていきたいという願望がある。そしてわたしはこの話をずっとしている。

道に立つアルバイトをした。ただ立っていることだけが求められた。寒かった。

近くに病院があったので救急車が頻繁に通った。緊急車両がサイレンを鳴らしながら通るときわたしは心の中で「がんばれ〜」と応援することにしている。これは働く車そのものに向けての応援であり、乗っている働く人および緊急事態真っ只中の当事者たちに向けての応援でもある。しかし本当のところ自分自身に向けての励ましというのが大きいようにも思う。わたしは前まで緊急車両を見ると勝手に辛いことを考えて悲しくなってしまっていたが、ここ数年、心の中で応援することによりその悲しい気持ちをプラスの感情にかえて立ち向かえるようになったのである。

 

ああいうのもこういうのも、自分だけが感じていることなのか分からないからこうして表現したらひょっとするとドン引きされるかもしれないしはたまた多くの共感を得られるかもしれないし、どちらがいいということもない。

 

道行く知らない人にコンビニのコーヒーをもらった。寒くて疲れてガタガタだったので大変ありがたく、心も身体も温まるという思いでいただいたが、後で考えるとあれはよかったのだろうか?コンビニのコーヒーは缶コーヒーみたいに密封されていないので簡単に毒を盛れる。

いやいや、何のために毒を?ドラマの見過ぎである。

人を疑うことや計算で物を言うことを良しとせず、疑うくらいなら純粋な心のまま毒を盛られて死んだ方がましだと思っていたときがあった。純粋さに拘りしがみついていた。今は、どうだろう。自分が純粋だとかそうじゃないとか考えを巡らせている時点できっとすでに純粋ではないということだけは確か。

休日午後3時

太陽に向かって歩いていた。眩しいから自然と半目になる。何かの反射がまるくきらきら、小さなまるがたくさん見えた。瞬きすると動く。自分のまつげに反射した光だと気づく。皮を剥いたぶどうみたいできれい。ずっとそのきらきらを見ながら歩いた。

徒歩30分の距離は30分歩けば着くのであって、5分立ち止まれば着くのには35分かかる。誰かの家のねことか変てこな看板とか紅葉のきれいな公園のブランコとか、その道にはわたしを引き留めるものがたくさんあった。

道沿いの人々の空気。車を洗う人、散歩する夫婦、12月なのに半袖ではしゃぎ回る兄弟、並んで坂を駆け下りる2歳差くらいの姉妹、これまさに休日午後3時。

坂道のぼりくだり

レポートを書き上げた。提出締め切り時刻ギリギリであった。わたしは近所のコンビニでそのゴミのようなレポートを印刷し、鞄にしまう時間すら惜しんでそのままむきだしで掴んで学校へと急いだ。学校へ向かう坂を登りながら、下ってくる人たちと何人もすれ違ったが、レポートを丸めて手に持ちせかせかと登山するわたしは、どう見ても「期限ギリギリに急いでレポートを提出しに行く人」だと丸わかりだったに違いない。しかしそんなことはどうでもよい。わたしはレポートを無事提出できさえすればよかった。

そのレポートはアメリカ文学の授業で、ハードボイルド小説について書くことになっていた。普段あまり触れないジャンルだったので、アメリカの銃社会やその中で起こる殺伐とした愛憎劇、探偵の活躍などは新鮮だった。

坂を登りながらふと、手に持ったレポートを見た。わたしは大事なレポートを提出しに行くというミッションの最中である。もし今後ろからこの手を銃で撃たれたら、レポートは血まみれになって一枚ずつ風に飛ばされていってしまうではないか!?こんな無防備に、あからさまにレポートを運んでよいのか!?

一瞬の後にわたしは冷静になった。ここは日本である。しかも誰もわたしのレポート提出を阻もうとしていない。それどころか、おそらく誰も、わたしが手に持ったレポートに注意を注いでいなかった。完全に、手に持ったレポートの中のハードボイルドの世界にひっぱられておかしな思考をしてしまっていた。危ない危ない。

学校に到着し、レポートボックスの前でレポートに表紙をつけた。教務の人が学生たちに、もう少しで締め切りなので早く提出するようにと急かしていた。ポストん。わたしのレポートは無事レポートボックスに収まった。時計を見た。ちょうど5分前であった。

帰りの坂道はのろのろ歩いた。自分がいるのとは別の大きな山が向こうにそびえており、ちょうどそこに夕陽が沈もうとしていた。坂から見下ろした街の上に太陽の光のベールができていて神々しかった。わたしはこういう景色を見たときに、「あぁ地球に生まれてよかった」と思う。大袈裟なのは分かっているが、こういう小さなことからどれだけ大きな幸せを得ることができるかが大事だと思っている。

後ろから誰も来ていなかったので立ち止まり、何枚か写真を撮った。わたしは普段あまり写真を撮らない。その理由は綺麗なものを見たまま綺麗に撮れないと悲しくなるからで、悲しくなるくらいなら自分の目に焼き付ける方がいいかと諦めているのだが、その時はそんなことよりもなんとかこの景色を切り取って人に見せたいと思った。

何かすごいものを見たときに、見せたい人が思い浮かぶのはいい。あの人ならなんて言うかな、とか考えながら。

だんだんるんるんしてきて、坂道の最後の方は重力にまかせてちょっと小走りになって下った。あー、別の時に別の長い坂をてくてく下りながら、「もしわたしの足がタイヤだったらさ、多分このまま勢いよく転がって海まで行けちゃうねえ」「そしたらもう戻って来れんなあ。まあ、もし足がタイヤだったらね」という変てこりんな会話をしたな。あれ楽しかったな。

 

おわり

 

家の窓からいつもははっきり見える海辺の赤いキリンたちが今日は霞んでほとんど見えない。霧かと思ったが冬は乾燥のあまりに霞むことがあるということを最近聞いた。仕組みはよくわからないがそれかもしれない。

隣の庭を見下ろした。柿の木がある。最近わたしは朝起きると窓を開けて、柿の数を数えるようにしている。今日は12個だった。数え始めた時からだいぶ減った。最後の1つになるまで数えるつもりでいる。

はらり。柿の葉が1枚落ちた。そうだ、実だけでなく葉もどんどん少なくなっていく。砂時計を見ているような気持ちになった。風が吹いて全部の葉がいっぺんに落ちることにおびえている今この瞬間にも、何もせずとも1枚1枚、落ちていくのだ。

大好きな人たちのことを考えた。何もしないで、今の居心地いい関係がずっと続けばいい、などと言っているがわたしたちはどうせ時が経てばバラバラになる。

昔のノートを読んだ。抱えている問題やいる場所や好きな人は変遷してきたけれど、強く願っていることは変わってないんだなと思った。大好きな人たちに悲しいことが起こらないでほしい。でもきっとそれは難しいから、せめて、幸せなことを増やして悲しいことを薄めていきたい。

 

これから雨が降るというのでわたしは雨を待っていた。降ってほしいわけではなくむしろ冬の雨は寒いから嫌だけど、予報で雨が降ると言ったのだからどうせなら降ってほしい。わがまますぎる。

雨がいつまでも降らないのでわたしはカーテンを開けて窓の外を何度も見た。相変わらず海辺の赤いキリンたちはそこにあるのは分かるがぼんやり霞んでいる。一瞬、柿の数が減っているように見えたが角度の問題で、しっかり12個木にぶら下がっていた。

気づいたら雨が降り始めた。あんなに待っていたのにちっとも嬉しくなかった。わけが分からないけれど、こういう感情はおそらく理由をつける必要のない部類なので放っておく。

におい

「自分へのプレゼント」みたいなのはあんまり好きじゃないけど去年のクリスマスは急に思い立って買った。

色んな種類が少しずつ小さな瓶につめられた、アロマオイルのセット。

朝起きて思ったこと

「お上品なおじさんのにおいがする」

 

1週間ほどすると、部屋で水栽培していた植物が枯れ始めた。よく考えれば分かることだが、アロマオイルというくらいだから油である。水栽培の鉢の水にも油は浮くし、葉っぱが息するところも詰まっちゃったんじゃないかな。幸い植物は枯れきってはいなかったので、水をかえて、葉っぱも拭いた。それからアロマを焚くのはやめた。

 

それから半年以上経ち、植物が元通りぴかぴかに元気になった頃、久々にアロマを焚きたくなった。また枯れないように植物はベランダに出して隔離してから焚いた。いいにおい。思えば前のクリスマスから今まで、色々なことが起こったな。「だってあなたあの時言ったのよ 匂いはは記憶だよって」という歌詞を思い出す。

それで次の次の日くらいの朝に植物を部屋に入れたらまた枯れた。においは残っていないけどなんかやっぱりダメだったのだ。二度目の失敗で植物を傷つけてしまった自分にわたしは心底うんざりした。

大切なものを大切にしようと思うのに大切にするやり方が分からなくていつも失敗する。大切に思うだけでは足りないし愛情をかけてもそれが裏目に出ることはある。そういうことを乗り越えてみんな生きていると思うとくらくらする。

植物の鉢の水を変えた。天気がいいから日が当たるように外に出した。

 

あ、

今と未来のことだけを考えて生きることはできないかしら。悲しいことがあったかなかったか、幸せだったかそうでなかったかということすら考えないで、何も反芻しないで淡々と、マラソンみたいに。

21号 / 生きています

今年3度目の台風が来るのでスーパーに食料を買い込みに行った。マンションの入り口で下の階の住人に会って挨拶したけど名前は知らない。

あと少しでスーパーというときに、ブルドッグとすれ違った。ふがふが言っていた。その息づかいで、学校の帰りにひとりでイノシシと遭遇したときのことを思い出してちょっと怖くなった。

怖いときって人に言いたい。日常に怖いものはたくさんあって、暗いところとかドアを開ける瞬間とか壮大すぎることを考えたときとか、全部ひとりでやり過ごせる程度の怖さだけど、誰かに話せる方が絶対に楽だと思う。人に頼らないでも何とかなるからって、頼らない理由にはならないんだからひとりになろうとしないで、できるだけ楽にいこうや。

ベランダで育てているネギの鉢を玄関に入れた。前の台風のときには入れてやらなかったので鉢ごと倒れて土がほとんど飛んで行った。倒れたままにしているとネギは上に向かって生えるため直角に曲がった。それで、鉢を縦に直すとネギが真横に向かって生えていて滑稽だった。

物干し竿も部屋に入れた。飛んで行ったら危ないし、なくなったら困る。そういえば子どもの頃、物干し竿を売る車が家の近くをよく通っていた。「たけや〜さおだけ〜」みたいなやつ。ぼったくりで有名なので、絶対に呼び止めてはならないと家族に教えられた。最近全くそのメロディを耳にしない。田舎にしかないビジネスなのかもしれない。

前の台風のときの反省から、窓の外のシャッターを下ろした。窓に雨が吹き付けて割れたり浸水したりしないようにというのと、外の様子を見て怯えたってしょうがないから見ないで平和に過ごすために。この部屋に住み始めて3年目になるが多分シャッターを下ろすのは2回目だと思う。初めてのときは開け方が分からなくなって、もう一生ベランダに出られないんじゃないかと焦った。外から開かないようにカギがひっかかってるから、それを引っ張りながら開ければいいってことはもう知っている。

 

台風が去った。

外が静かになってだいぶ経ってから窓の外のシャッターを開けた。気づかなかったがもう夜ですっかり暗かった。

珍しい人から安否確認の連絡が来て驚いた。私に興味がないと思っていた。件名が「生きていますか?」だった。辛いのが好きなのに甘口のレトルトカレーを食べながら、ぼーっとそれを読んだ。

なんか、もうちょっと軽やかに生きられんかね。いつも何かを考えていないといけないルールなんてないし、もしあったって別に従わなくていい。何のためにこんなものを書くのかなんて考えずに書けばいい。そうだ、簡単に悲しくなったりしない決意を、したんだった。冷蔵庫で冷えていた梨をむいて食べた。こういうひとつの幸せで私は生きられる。