ものはためし

書く訓練、備忘録

どんてん

朝起きたとき外を見て咄嗟に「曇天だ」と思った。どんてん。曇っているとか天気が悪いとかではなく1番に曇天という言葉が浮かんだのは曇天という語彙を最近獲得したためである。晴天とか雨天はよく聞くが曇天はあまり聞かないような。

前に「いななく」について書いた気がするが書いていないかもしれないのでまた書く。たまたま馬小屋の前を通ったときに馬がいなないたのを聞いて「いなないた!」と思わず言ってしまったという話。滅多に使わないが今まさにその言葉がぴったりだという状況にあるとつい声に出して言いたくなってしまうのである。思えば「ふくよか」とか「おもむろに」とか「なんらかの事情」とか「やんごとなき」とか、子どもの頃からおもしろい響きの言葉を知るたびに気に入ってしきりに使おうとした。わたしの家族は言葉に関心を持っている人たちだった。夕食を食べながら新しく知ったおもしろい言葉の話をしたり、百科事典をひいてみたり、珍しい漢字を大きく紙に書いてみたりしていて、これはどの家族もするようなことではないということは後で知った。なるほどわたしがこんな言葉好きの人間になったのにはある程度の理由があったのである。

 

クール宅急便を待っていた。時間指定で午前中に届くことになっていたのである。しかし正午を過ぎてもインターホンは鳴らず、わたしはひょっとすると自分だけ午後の世界に進んできて、周りの世界はまだ午前なのでは、といった妄想を楽しんだ。20分ほど過ぎてから誰かが外の階段を登ってくる音がしたのでわたしは待機した。足音でだいたいどういう用事か分かる。

インターホンが鳴り「はい」と答えたが思うように声が出なかった。咳払いをしてもう一度声を絞り出した。宅配の人に遅刻を詫びられ、わたしは全く構いませんありがとうございますと返したがほとんど声が出なかった。

無事荷物を受け取れたので気分がよかった。しかしここでわたしは重要な事実に直面した。何となくそういう気はしていたが気づかないふりをしていて、しかしどうもここまでくると認めざるをえない。風邪。わたしは風邪をひいていた。数日前から食欲のなさや頭痛は感じていたがいよいよ声がガラガラになったのでこれはどう考えても風邪である。

 

雲間から光が差して急に部屋が明るくなった。カーテンを開けて外を見ると隣の庭の柿の木が見えた。そういえば正月が明けて帰省から戻ってくると柿の実はもう1つも残っていなかったのだった。最後の1つまで見届けるというのは叶わなかった。

また大切な人たちのことを考えた。今のままで居られたらいいのにというのは本当に無理なのだとわかった。わかってはいたが今までは実感が伴っていなかった。

時が経てば人は変わる。それはどうしようもない。でもまあ、どういう風に変わっていきたいかを語り合うことができるから、わたしたちは強いと思うよ。