ものはためし

書く訓練、備忘録

坂道のぼりくだり

レポートを書き上げた。提出締め切り時刻ギリギリであった。わたしは近所のコンビニでそのゴミのようなレポートを印刷し、鞄にしまう時間すら惜しんでそのままむきだしで掴んで学校へと急いだ。学校へ向かう坂を登りながら、下ってくる人たちと何人もすれ違ったが、レポートを丸めて手に持ちせかせかと登山するわたしは、どう見ても「期限ギリギリに急いでレポートを提出しに行く人」だと丸わかりだったに違いない。しかしそんなことはどうでもよい。わたしはレポートを無事提出できさえすればよかった。

そのレポートはアメリカ文学の授業で、ハードボイルド小説について書くことになっていた。普段あまり触れないジャンルだったので、アメリカの銃社会やその中で起こる殺伐とした愛憎劇、探偵の活躍などは新鮮だった。

坂を登りながらふと、手に持ったレポートを見た。わたしは大事なレポートを提出しに行くというミッションの最中である。もし今後ろからこの手を銃で撃たれたら、レポートは血まみれになって一枚ずつ風に飛ばされていってしまうではないか!?こんな無防備に、あからさまにレポートを運んでよいのか!?

一瞬の後にわたしは冷静になった。ここは日本である。しかも誰もわたしのレポート提出を阻もうとしていない。それどころか、おそらく誰も、わたしが手に持ったレポートに注意を注いでいなかった。完全に、手に持ったレポートの中のハードボイルドの世界にひっぱられておかしな思考をしてしまっていた。危ない危ない。

学校に到着し、レポートボックスの前でレポートに表紙をつけた。教務の人が学生たちに、もう少しで締め切りなので早く提出するようにと急かしていた。ポストん。わたしのレポートは無事レポートボックスに収まった。時計を見た。ちょうど5分前であった。

帰りの坂道はのろのろ歩いた。自分がいるのとは別の大きな山が向こうにそびえており、ちょうどそこに夕陽が沈もうとしていた。坂から見下ろした街の上に太陽の光のベールができていて神々しかった。わたしはこういう景色を見たときに、「あぁ地球に生まれてよかった」と思う。大袈裟なのは分かっているが、こういう小さなことからどれだけ大きな幸せを得ることができるかが大事だと思っている。

後ろから誰も来ていなかったので立ち止まり、何枚か写真を撮った。わたしは普段あまり写真を撮らない。その理由は綺麗なものを見たまま綺麗に撮れないと悲しくなるからで、悲しくなるくらいなら自分の目に焼き付ける方がいいかと諦めているのだが、その時はそんなことよりもなんとかこの景色を切り取って人に見せたいと思った。

何かすごいものを見たときに、見せたい人が思い浮かぶのはいい。あの人ならなんて言うかな、とか考えながら。

だんだんるんるんしてきて、坂道の最後の方は重力にまかせてちょっと小走りになって下った。あー、別の時に別の長い坂をてくてく下りながら、「もしわたしの足がタイヤだったらさ、多分このまま勢いよく転がって海まで行けちゃうねえ」「そしたらもう戻って来れんなあ。まあ、もし足がタイヤだったらね」という変てこりんな会話をしたな。あれ楽しかったな。

 

おわり