ものはためし

書く訓練、備忘録

苦手なもの

昔から子どもと犬が苦手なのだが、なぜか最近子どもが好きになってきた。だってかわいいじゃないですか。

だってかわいいじゃないですかというのは犬好きな人がよく言うけれど、私はずっとそれが許せなかった。たしかに好きな理由にはなっているけど納得はできない。世の中の風潮として、犬はかわいいから皆好きみたいなのがある気がする。でもそう思わない人も当然いるはずなのだよワトソン君。

大学の中庭でよく犬が走っている。リードを引きずって飛んだり跳ねたりする。近くでおばさんが、楽しそうにそれを見ている。おばさんの犬だ。私はキャンパス移動のためにその中庭を突っ切らなければならないのだが、繋がれていない犬のそばを通るのはとてもつらい。大学は犬の遊ぶところではない、人間が勉強するところだぞ、などと思う。しかし犬とおばさんはとても楽しそうで、よく考えたら国立大学の中庭である。きっと犬とおばさんが遊んではいけないというルールもないし、大学は人間が勉強する場所というのは私の考えでしかなく、犬が苦手なのも私の問題であり、それを押し付けて犬とおばさんの幸せを奪う権利は、私にはないのである。息を止めて、できるだけにこにこして、颯爽と、通り過ぎる。

私は小さい頃、野犬にほえられたり追いかけられたり、子猫が野犬に殺されるところを見たりしてあまりいい思い出がないから犬が苦手なのだと思う。ただ、犬に追いかけられたことがなければ犬が好きだったかと言われると、それははわからない。そういえば、近所を野犬がウロウロし始める前から、はす向かいの家のタロちゃんが怖かったし、反対のはす向かいの家のマリーちゃんも怖かったし、隣の家のバンも(番犬とは呼べないほど大人しかったのにもかかわらず)怖かったから、もう生まれた時から私は犬が怖かったのかもしれない。そんななので、おそらく、何かが苦手だということは向き不向きもあって仕方がないことだ。

私は犬を可愛がれないことを残念に思う。皆のように犬を可愛がれたらいいのに。そのほうが人生ずっと楽しくなりそうなのに。楽しく生きるためには、苦手なものは少ない方がいい。だからといって、苦手なものがあることを気に病むのもどうかと思うから、難しい。

あんなに元気だったタロちゃんもマリーちゃんもバンも、もう死んで何年も経った。それでも、相も変わらず私は犬が苦手である。ひょっとすると、子どもと同じように、いつかかわいく思えてくるかもしれないので、悪あがきはせずにその時をただじっと待つ。