ものはためし

書く訓練、備忘録

徒然

今日外を歩いていたら自転車に乗った人が大声で歌いながら通り過ぎて行った。とても楽しそうだったのでなんだかこっちまで嬉しくなった。

一般的に、大声を出しながら移動するのはお行儀が悪いことだったりする。だから、それを見てどう思うかはその時の自分の状態によると思った。今日の私は元々気分がよかったので、その人を見て余計に気分がよくなったけれど、場合によってはその逆もあり得た。何かを見て平和だなと思うとき、そう思える自分の心が平和なのだと気づく。

犬が突然吠えた。見ると近くの建物に外階段が付いていて、その三階部分に犬がいた。ちょうど散歩中の別の犬が私とすれ違って行ったので、その犬への挨拶なのかもしれなかった。すれ違った犬はフサフサした大きい犬で、余裕の笑みを浮かべながら(というように見えた)尻尾をふって歩いて行った。三階の犬も大きかったがこちらは毛が短かかった。わんわんわん、ではなく、わおーんわおーん、という鳴き方だったので私は思わず「遠吠えだ」と言った。隣には友達がいた。

馬のことを思い出した。学校を歩いているときに急に近くで馬がいなないた。私はそのとき1人だったのに思わず「いなないた」と声に出して言ってしまった。それは少し滑稽だった。馬が走っているのを見て思わず「走った」と言うことはないのに、なぜいなないたときは言ってしまうのか。それは「いななく」という言葉があまりに非日常的だからなのかもしれない。滅多にない「いななく」という言葉を使うのにふさわしい時が突然現れたから、思わず使ったというような。「遠吠え」もそれに似ていると思った。

そういえば、「遠吠え」は確か文字通り遠くに聞こえるように吠えているはずだ。さっきの犬は通りすがりの犬とそんなに離れていなかったから、もし挨拶ならそんな吠え方はしなくてよかったと思う。だからやっぱりあれは挨拶ではなかったのだ。若しくは、そもそもあのわおーんわおーんが遠吠えではなかったのかもしれない。

 

家に帰った。しばらくするとどこかから犬の鳴き声が聞こえてきた。よく聞く鳴き声だがどこの犬かは知らない。もしかしてさっきの三階の犬かなと思ったが、それよりも近くな気もしたし、方向も違う気がした。どっちにしろ、犬はそこらじゅうにいるし、どの犬が吠えているかは問題でなかった。

 

隣の部屋の住人が帰ってきた。友達を連れていた。料理を始めた。うちは壁が薄くて生活音がかなり伝わってくるのでそういうのが全部分かってしまうのだが、私はそれが全く気にならない。たまに大音量のテレビや楽器の音が聞こえてくるがそれも気にならない。むしろ近くに人の気配がするのが嬉しかったりする。人によってはそれがストレスになったりするだろうが、私はそれがないので我ながらありがたい。ついでに隣の住人も、隣が私でラッキーだと思う。ただ、向こうの音が聞こえるということはこちらの音も聞こえるということである。私は自分の生活音を聞かれること自体は気にならないのだが、相手がそれをストレスに感じているかもしれないので気をつけなければと思う。

 

冬の夜というのはどうしてこんなに静かなのかしらと考えたが、夏の夜が今よりうるさかったかどうかと言われると分からない。多分今も夏と同じくらい音がしているが窓を全部閉めているから聞こえないだけなんじゃないかと思う。でも夏は虫が鳴いているけれど冬はいないのでやっぱり冬のほうが静かなのかもしれない。

どうしても確かめたかったわけではないがちょっとだけ窓を開けてみたら外に洗濯物を干したままなのに気づいたので急いで取り込んだ。それは明日が雨の予報だった気がするからで、普段ならそのままにしておいたと思う。寒すぎて外の音を聞くのを忘れた。冬の夜が静かかどうかは分からないが、寒いのは確かだ。

最近徹夜したりコタツで寝たりを繰り返していて、今夜こそきちんと布団で寝ようと決めていたのに、まだコタツにいる。周りでインフルエンザが流行っているようなので体調には気をつけなければならない。帰省する直前にインフルエンザを発症して帰省できなくなり、病院にも行けずお正月は下宿で1人苦しむという最悪の事態を想像した。これはなんとしても避けなければならぬ。そのためには今すぐ寝たほうがいい。私は私にお説教じみたことをして、ようやく立ち上がった。