ものはためし

書く訓練、備忘録

誰の目からどこへ矢印が向かっていようと

心臓が痛い。厳密にいうと、痛いのは胸の右側だから、心臓ではない。いや、どうだろう。心臓が胸の左側にあるというのは間違いだと聞いたことがある。真ん中にあるけれど、左側に少し出っぱっているので、左に寄っている感じがするとか、そんなところだった気がする。まあどちらでもいいのだ。胸がきりきり痛む。とにかくなんとかしてくれ。

 

レポートを書こうと思って、図書館に来た。何も考えずに、プリンターの目の前にあるパソコンに陣取ってしまった。書いている後ろでプリンターが絶えず紙をはきだしている。振り返ると印刷待ちの人と目が合った。いつからこっちを見ていたのだろう。自分が書いている内容は読まれてしまっただろうか。何度も推敲して仕上げた文章を読まれるのも恥ずかしいのに、書いている途中の文章や、その姿を見られるのはもっと恥ずかしい。

 「他人の目を気にしすぎないこと。人は自分が思っているほど自分のことを見ていないんだよ。気にするだけ無駄だよ」

 先日、こんな内容の文章を読んだ。少し元気が出た。実行しようとは思う。多分さっき目が合った人はたまたまこっちを見ただけで、私の文章には興味がない。自分は自分のレポートの心配をしていればいいのだ。レポートを、書こう。

 

友人から「影響されやすいタチだよね」と言われた。そしてその言葉を聞いて、確かに自分は影響されやすいな、と思ったことがまさに私の影響されやすさを表していると思う。

 

急に、自分には意思というものがないのかもしれないと不安になった。

 

あの人は浅はかだよね、あの人のやり方はよくないよね。そういうちょっとした言葉を聞くたびに、私は、なるほどそうなのかな、と思ってしまう。

逆ももちろんある。ある人が、別の人を指して「彼は天才だ」と言った。私はその人のことを、すごい人だなあとぼんやり考えてはいたけれど、天才と思ったことはなかった。しかし急に、その人が天才に思えてきた。本当に、天才な気がしてきた。

だれかの言葉によって、自分の中で人の評価が変わってしまうことが怖い。良い方向だろうが、悪い方向だろうが。私にとってそれは、自分の意思が自分によってコントロールされていないことを意味するように感じられて、恐ろしくなってしまうのだ。

しかし耳を閉ざすわけにはいかない。

 人に影響されやすいという自分の性質は、きっとすぐには変えられない。自分の意思をコントロールできないということに怯え続けなければならないのか。いや、誰と関わりを持つか、誰に大きく影響されるかは自分で決められるはずだ。色々な人の意見を聞こう。その上で、この人に影響されたいと思える人と、できるだけたくさん関わろう。

 誰かに言われたのではなく、自分自身でこういう結論に至ったのだから、やっぱり自分にも意思はあるのかなと思った。