ものはためし

書く訓練、備忘録

出てくるものを書きとめるだけの、簡単なお仕事です

最近、ひたすら何かを書いている。書くことに理由や目的はない。誰かに何かを伝えたいとか、自分の文章を評価されたいとか、後で読んで元気が出るとかいうのは、全部後付けの理由だ。思いつくから、書いている。

 私はよく詩を書く。その詩を読んだ人から、歌詞を書いてみたらどうだと言われた。やらない理由もないので、挑戦することにした。しかし、伝えたいことが何もない。仕方がないから、伝えたいことが何もないというようなことを、ひたすら書いている。面白いといえば面白いし、面白くないといえば面白くない。

 歌詞と詩の違いはなんだろう。メロディーがついているのが歌詞で、つかないのが詩か。まだメロディーをつけていない歌詞はただの詩だろうか。それとも、メロディーをつけることを前提に書いたらもうそれは歌詞なのだろうか。

 私はよく詩を書くと言った。しかし、「詩を書く」ということが恥ずかしいと感じることがある。初めて会った人に趣味を尋ねられても「詩を書くことです」とぱっと言うことができない。そこそこ仲の良い人にも、なかなか言えない。なぜだろう。詩を書くと言ったら書いた詩を見せなければならない気がするからだろうか。詩を書くということがあまりにセンチメンタルな行為だから、よく知らない人にその姿を晒すことに抵抗があるからかもしれない。

 いずれにせよ、詩を書く自分を知られたら馬鹿にされるのではないかという不安がいつもある。不安を感じながらもやめることはできない。私にとって詩を書くことは、浮かんできた言葉を書きとめるという単純な行為だ。それは、かゆいところをかいたり、鼻をかんだりするのと同じくらい自然なことなのだ。

 詩を書くと言うと変に思われるのではないかという不安からか、私は長いこと「詩を書く」という表現を避けてきた。代わりに「短い文章を書く」「言葉をあつめる」「思ったことを書く」と表現してごまかした。私がどれだけ細かい表現にこだわっても、そんなことは何も知らない周りの人からは「詩人」「ポエマー」「いつもポエミーなことを言っている」と言われた。馬鹿にされているのかなと思った。馬鹿にされることを恐れすぎた私は勝手に、「詩」や「ポエム」という言葉に過剰に反応してしまうようになったのだ。今思うと、そういう言葉をかけてきた人たちはきっと誰も私のことを馬鹿にはしていなかったと思う。ただ、珍しかったのだろう。詩を書く自分を一番馬鹿にしているのは自分だった。

 歌詞を書くことに挑戦し始めて、気づいたことがある。歌詞を書くことは、詩を書くことよりも恥ずかしくない。周りの人にも言える。なぜだろう。身のまわりに音楽が溢れている時代だから、歌詞を書く人は、詩人よりも身近に感じられるからだろうか。

 

以前、長い文章が書けないと言ったが、長い歌詞も書けない。まともに一曲分作れない。ワンフレーズ書いたら、ぴったりなメロディも浮かんでくるが、それで満足してしまう。やはり、出てきたものを書きとめるだけではだめなのだろうか。長いものが浮かんできたら、書きとめきれずに消えてしまうのか、そもそも長いものは浮かんでこないのか。分からない。自分のことなのに分からない。

 そもそも、伝えたいことも何もないのに、どうして自分は歌詞を書こうとしているのか分からなくなった。本当に何もかも分からない。とりあえず、何もかも分からないという歌詞を書いてみようと思った。